現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は42名の会員が活動しています。



(日光橋公園にて)

クラブ活動 ”ハイキングクラブ”

「3月 玉川上水取水堰から玉川上水を歩く」

 3月30日、総勢9名で玉川上水を散策しました。想定では、桜の花を満喫するつもりでしたが、まだ咲き始めで思い通りにはいきませんでしたが、暖かく晴れ渡り、天候に恵まれた一日でした。
 玉川上水は江戸市民の飲み水として、又、武蔵野の新田開発を進め、江戸のまちづくりの総仕上げとして4代将軍家綱が1653年羽村取水口から四谷大門までの全長約43㎞・標高差92mの区間を、玉川兄弟はわずか8ケ月余りで施工・開削され「近代水道のさきがけ」ともいわれています。

(玉川上水散策ルート 👆クリックで拡大)

 今回は、取水堰の羽村から拝島までの玉川上水の周辺コースを散策しました。
 それぞれの駅から指定列車に乗り込み、大宮駅でむさしの号”で立川へ、青梅線に乗り換え羽村駅に9:57に到着。この“むさしの号”が便利で大宮から八王子まで乗り換えなしで行けます。途中貨物船を利用して中央本線・武蔵野線・東北本線をつないでいます。ホームで待っている間、少し年上の奥さんが「乗替えが無く助かっています。本数が朝と夕方の数本しかないのが残念・・」とのこと。
 このルートがあることを知りませんでしたが、乗車中にサイトを確認しルートを理解しました。


(スタートの青梅線羽村駅)          (羽村駅からのマップ 👆クリックで拡大)

 観光案内所に立ち寄りマップ等の資料を頂きました。最初に禅林寺に向かいます。ここには小説「大菩薩峠」作者、中里介山のお墓が有ります。お墓の蕎麦に岩波家のお墓がありましたが、出版社とは関係がある??
 多摩川の方向に下り、東京都水道局羽村取水管理事務所を過ぎ、玉川水神社です。水道局の敷地内にあるようです。陣屋跡と隣り合わせにあり、移築した様です。神社は玉川上水築造に尽力した玉川兄弟が創建したものです。


(羽村観光案内所)              (禅林寺)


(中里介山の墓)               (陣屋跡)

(玉川水神社にて)

 いよいよ、本題の玉川上水、始めに取水堰に降ります。多摩川の土手からは晴天もあり、開けた風景が気分を爽快にします。
 多摩川の岸辺に若人のカップルがいて、男の子が水着になり泳ぎ始めました。水深が浅いと思うが深いところがあるのか? 女の子が水着に着替えるのか気になったが、皆に遅れるので見ることは叶いませんでした。


(玉川上水取水口)


(第一水門)                 (土木遺産「投渡堰」)


(堰をバックに)               (玉川兄弟の像)


(多摩川の河原で)              (多摩川の風景)

 玉川上水桜並木を歩きます。まだ桜は咲き初めでした。(+o+)
 ところで、玉川兄弟は庄右衛門・清右衛門という名前で町民の身分でした。玉川上水完成の功績により玉川の姓と帯刀を許され、200石取りの武士の身分に取り立てられ、江戸中期まで玉川家で上水を管理してたようです。
 上水沿いに歩くと、道の上り下りが有りました。平らなところを歩くとのことで、参加した吾人からクレームが出るか? 心配しましたが、出ませんでした。
 いや、云いたいのは、ここにきて見るまでは、昔のことだから、平らなところばかりをを開削したとばかり思っていたんですが、小山を切通して開削していたのは驚きました。大した測定器が無い時代に、48㎞を8ケ月で・・。


(玉川上水脇道を歩く)            (橋の上から玉川上水を)

 この近辺に水が良いとのことから酒蔵が2軒あり、そのうち田村酒造を起こした旧ヤマジュウ田村家住宅を訪ねます。立派な住宅です。敷地内には蔵が2棟建っていました。


(旧ヤマジュウ田村家住宅)          (田村住宅、土蔵)


(Yさんご親戚の蕎麦屋さん)
 今日の目的の一つである、Yさんご親戚の蕎麦屋さんに予約していた定刻に到着しました。途中で間に合わないのか心配していましたが、流石、I先道人のお陰です。
 「もっとあなたの蕎麦に 志向庵」がキャッチフレーズの蕎麦屋さんです。
 お部屋に案内され、お気遣いいただいたお通しセットが準備され、恐縮至極です。
 早速、ビールで乾杯。蕎麦の注文は3種類になりました。サクラエビのから揚げが評判とのことでしたが、あいにく売り切れ、残念でした。
 ビールの後は、地酒の利き酒セット(澤乃井:小澤酒造、嘉泉:田村酒造、多満自慢:石川酒造)、メニューには70mℓが3倍だから210mℓ、1合一寸だから大丈夫行けると注文しました。しかし、出てきたものはサービスかどう見ても70mℓには見えず100mℓか?と思う量です。心配しましたがサラッと口に全て入り事なきを得ました。本来の利き酒の趣旨ですが、酒の味に疎い私としては、澤乃井が甘口だ!とわかるだけ。ダメですね~。
 この利き酒が呼び水になり、追加のお酒を少し頂き飲みすぎ傾向。この後の歩きは大丈夫か? お酒のことばかり書きましたが、御蕎麦が絶品で、御酒が進んだということです。ハイ


(乾杯準備OK)


(おろしそば!いただきます)   (大盛そば!おいしかったです)


(天ぷらそばです)      (天ぷらそば!いただきます)

 美味しい蕎麦を頂き、利き酒を楽しみ、少し出来上がっていました。残りの散策に再スタートです。I先道人の考えで、酒蔵の見学と試飲は(飲みすぎの為)取止め、みずくらいど(水喰土)公園に向かいます。
 水喰土とは、玉川上水が完成し水を流したところ、この地域で水が地中に吸われ失敗したそうです。北側に流路を変えて完成しましたが、この掘った跡が残されています。


(福生~拝島までのマップ) 


(水喰土公園入口)              (水喰土説明板 👆クリックで拡大)


(水喰土遺跡)                (公園内を歩く)

公園を出て、拝島駅に向かい、途中の日光橋公園に到着です。


(日光橋公園到着 👆クリックで拡大)


日光橋公園から拝島駅は直ぐ着きました。


(帰路の拝島駅ホームで)

 本日の歩数は約15,000歩。偉人の残した遺産に人の知恵と力を偲び、蕎麦とお酒を味わい、好天の中、玉川上水散策は終了しました。
 一人も脱落者・事故もなく無事家路に着きました。お疲れさまでした。

                    37期ハイキングクラブ  写真:I先道人、記事:楊井の私

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