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史跡めぐり

所沢 航空発祥記念館と柳瀬荘・黄林閣を訪ねて

 今回は所沢市にある、日本最初の飛行場跡地に造られた航空公園内の「航空発祥記念館」と松永安左エ門旧宅である「柳瀬荘・黄林閣」を訪ねました。
 所沢は県北の熊谷周辺の我々には比較的馴染の薄い地域ですね。
 熊谷市内各所から17名が4台の車に分乗して関越道三芳PAに集合。全員揃ったところで所沢IC経由「航空発祥記念館」駐車場へと向かいます。


 17名ということで記念館の方がガイドさん2名を手配してくれました。 驚くなかれ,メインのガイドさんはテレビの「鳥人間コンテスト」の第1回目にパイロットとして漕いだ人でした!!。なので妻沼には随分通って練習してたとのこと。
YS11機設計メンバーの木村秀政教授の直接の教え子だそうです。どうりで説明が詳しい訳ですよね。


1911年(明治44年)に陸軍の飛行場として日本で初めて開設され、高度10メートル距離800メートルを飛んだということです。本当は、その4か月前に代々木練兵場でわずかに浮いて10メートル程度飛行(浮いた?)のが日本初だそうです。
ガイドさんの案内で実物の古い飛行機の展示を見たり、飛行機の飛ぶ原理の説明やその原理の模型実験もさせていただきました。
 



シミュレーターを操作してヘリコプターの操縦、飛行機の飛行操作、宇宙での無重力状態に近い体験等、思い思いに楽しんでいました。
 

  


 (航空発祥記念館前で集合写真。 ☝クリックすると拡大します。)

 公園には普段は幼稚園児や家族連れなど結構人は多いのですが、記念館の中は空いているのでジックリ時間をとれば面白いところです。お孫さんに良いかも。


 次は、旧所沢町の鎮守社である所澤神明社をチョット覗いて柳瀬荘・黄林閣へ向かう。
 
 (所澤神明社)



 「黄林閣」は電力の鬼といわれた実業家、また茶人としても名高い(号は「耳庵」)松永安左エ門の旧別荘「柳瀬荘」の主要建物です。
 



 

 東久留米の大庄屋の住居として天保15年(1844年)に建てられ、昭和5年(1930年)に松永氏が譲り受け現在地に移築しました。昭和23年(1948年)に東京国立博物館に寄贈されました。幾つかある建物のうち、主要建築物である「黄林閣」は昭和53年(1978年)に国の重要文化財に指定された。
 一昨年小田原で訪問した同じ松永さんの「老欅荘」とは規模も雰囲気も違いますね。これだけの大きなものを上野に移すこともできず、東京国立博物館の「分館」となっているそうです。全国に4か所ある国立博物館の中でも「分館」はここだけだそうです。一般公開は毎週木曜日のみです。
 今は博物館の特別許可がなければ建物内部には入れません、土間からと開け放たれた部屋を外から見ることになります。中を見たいですね。
 茅葺屋根の寿命を延ばすために、管理人さんの提案で今年から毎月第2木曜日に竈に火を燃やして燻す作業を地元のボランテイアさんが行っていることを知り今日訪れました。
燻している最中に訪問すると我々も燻されて大変なことになりそうなので、火を落とす頃合いの訪問です。
 

管理人さん(女性)の黄林閣保存にかける情熱には凄いものがあり敬服しました。
管理人さんの超超超ご好意でボランテイアさん用に便乗し同じお昼を頂けました。空腹のお腹に栗おにぎりは美味でした。
それにしても、物凄い材を使った雄大で豪壮な建物には驚きです。大黒柱は50センチ位の太さで黒光りしています。しかし解体してもこれだけ大きなものを東久留米から、この山の上までどうやって運び、復元したのか、驚きです。
 

 




 (黄林閣での集合写真です。 ☝クリックすると大きくなります)

 林に囲まれていますので、この時期は藪蚊が多く建物の外にいるとアッという間に襲われました。これだけは困った。
                                      (文責:小田原)

{おまけ}:帰りの高坂PAでの休憩場面を最後に入れます。


                       (担当幹事:小田原、大森、塚本、高橋、関川)