現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は80名の会員が活動しています


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史跡めぐり

蕨宿史跡めぐり

 蕨の歴史は古いのですが、遺跡も多数発掘されており代表される金山遺跡などがありますが、現在に残されるのは、室町以降のものです。
 長徳4年に「三学院」が創建され室町時代末期、徳川家康より寺領20石を寄進され賑わいました。間もなく江戸時代へ入り宿場町として栄えました。
 今日はそんな蕨を歴史散策です。行事の重なる時期で参加人数やや少なめの8名、蕨駅へ予定より少し遅れて到着、今日のガイドさん清藤さん、炭田さんのお出迎えを受け挨拶もそこそこに バス停へ直行です。用事のある清藤さんのお見送りを受け出発です。
 到着場所が「上の木戸」と呼ばれる蕨宿の京都側の入り口です。大きな壁画や3M位の火の見櫓風のからくり時計のあるふれあい広場からスタートです。
  
(市内バスはハングルでも案内)  (上の木戸からスタートです)


(上の木戸のモニュメントとからくり時計)

 程なく、三学院(三学とは僧侶になるための「戒学(カイガク)」「定学(ジョウガク)」「慧学(エガク)」を学ぶ所)に到着、正式には『金亀山極楽寺三学院』新義真言宗智山派のお寺です。
 本尊は平安後期の慈覚大師作と伝えられる十一面観音。創建は998年で、徳川家康より寺領20石の朱印状を与えられている格式の高い寺院です。境内には見上げるばかりの本堂、 創建1,000年を記念する三重塔、鐘楼、弁天堂、仏舎利塔や、巣鴨の棘抜き地蔵の姉妹と言われる高さ2・4Mの「子育て地蔵」「目に味噌を塗ると眼病が治るとされる 目疾地蔵」が民衆をお守りしていました。
 
(三学館長屋門)                (三学館仁王門)

 
(三学館本堂)                 (三学館本堂)

 
(弁天堂)                   (仏舎利塔)

 
(子育て地蔵)                 (目疾地蔵)


(地蔵堂)

 蕨宿は小さい平城のため堀に囲まれていますがその堀に小さな橋を架け夜になるとその橋を挙げてしまう「徳丸邸のはね橋」が残されていました。
 
(はね橋です)                 (鈴木薬局宿場街の面影)

 本降りになってきた雨の中、宿場町の面影を残す鈴木薬局を眺めながら食事処を目指します。途中「萬寿屋」というおせんべい屋さんが目につきお茶も飲めそうなので 早速立ち寄ります。それぞれ自分の好みのおせんべいを選び冷えた体を温めながらぽりぽりガリガリ、あ~美味しかった。
 
(萬寿屋(おせんべい屋さん)          (おせんべいで一休み)

 
(道路敷石には中山道69次が)          (マンホールの蓋にも蕨宿)

  昼食は、当初讃岐うどん店を予定していましたが人数が減った為、下見の時に地元酒蔵のお兄さんに紹介された「和食割烹山あつ」に到着です。 お酒を飲みたい雰囲気ですが、昼間からはと遠慮していた中、Tさんがお品書きのうちピンキリのピンの銘酒を注文し、美味しそうに2本も飲み干していました。食事は美味しく全員が綺麗に平らげていました。

(山あつ(和食割烹で美味でした))写真をクリックすると大きくなります。


(歴史民俗資料館で)写真をクリックすると大きくなります。

  
(旅人を迎える一コマ)     (こんな夕食でした)      (昭和の時代です)

 午後の行程も予定されていたにですが、雨が本降りのため目の前の「歴史民俗資料館」を見学しながら、館内にて和楽備神社・蕨城址公園(成人式発祥の地・記念像) などの説明を受けました。展示の中に、旅人をお迎えする宿の女中の人形があり、その女中さんの旅人の疲れを癒すような眼差しにみんなでほっこりしました(今はこんな人はいないな)
 
(市役所にてカリンどうぞ)           (市民バスで駅へ)

 帰りは徒歩の予定でしたが雨のため市役所から市民循環バス100円を利用です。市役所では近くの街路樹に実った「かりん」を「どうぞご自由にお持ちください」に甘え、用意されていたレジ袋に今日のお土産として貰っていました。
 大宮でティータイムの後、解散です。お疲れ様でした。

                        担当 大澤(岩)、大柿、萩原(静)