現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は80名の会員が活動しています


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ハイキングクラブ


日光街道・杉戸宿から栗橋宿を歩く

2月24日 第6回「杉戸宿~幸手宿」 10名参加
 2月で寒い天候を予測していましたが、この日は暖かく穏やかな一日で快適な街道歩きでした。
古民家の残る日光街道5番目の宿場町、杉戸宿本陣跡交差点からスタートです。

 (杉戸宿マップ)

長瀬本陣跡は本陣門が残り(立ち入りできない)、両脇の脇本陣跡は現在店舗等になっている。愛宕神社は杉戸宿の鎮守として、 浅間神社は富士塚とその中に松尾芭蕉の句「八九間空で雨降る柳哉 はせ越(芭蕉)」が彫られています。宝性院は日光道中の道標や 不動尊本堂には「16体の獅子の内、毬を持つ1体の獅子」の珍しい彫刻があります。高札場跡は現在古民家、角穀屋跡・横町の古民家と立派な屋敷跡が残されています。

 
 (愛宕神社と大イチョウ)            (高札場跡に古民家)


 (浅間神社富士塚)

 
 (芭蕉句碑)         (古民家と蔵)

 
 (宝性院)                           (宝性院内道標)


 (不動尊本堂・毬と獅子)

11:45食事場所が混雑する時間で早めの昼食タイムを摂ります。午後のスタートは、心学者大島有燐創建の「恭倹舎跡」から。十一里目の「茨島の一里塚」は 山田うどんの駐車場内に説明板が。上高野小入口を斜め左へ、東武日光線を渡り、上高野道路元標が、元は日光御成り街道沿いにあったもの。更に進むと日光道と 日光御成街道との合流点に。この周辺には石仏石塔群や太子堂・源頼朝が奥州征伐の途中戦勝を祈願したという神宮寺がある。志手橋を渡ると幸手宿に入る。 幸手宿右馬之介町の鎮守、神明神社は田螺不動尊として成田・菅谷不道などが祀られている。参道口には高札場があったが痕跡見つからず。

 
 (横町の古民家)               (一里塚解説)

  
 (御成道合流説明)        (田螺不動尊碑)     (神明神社説明)


 (岸本家住宅前で)

幸手駅入口交差点手前に、かって醤油醸造業を営む岸本家住宅主屋が現在古民家カフェとして活用されています。ここで休憩喫茶タイムです。 休憩後ゴールの幸手駅へ、途中明治天皇行在所跡・一色稲荷神社を見学し、当時幸手城があったと云われる幸手駅に到着で本日終了です。


 (一色稲荷神社)


3月17日 第7回「幸手宿~栗橋宿」  10名参加
 今日から使用開始となった新幸手駅に降り立つ。コンコースで記念のスナップを撮りスタート地点の本陣前交差点へ。

 (幸手駅コンコースで)

文政2年(1819)創業の旅館「朝萬」は現代風に建替えられていました。永文商店のシャッターアートを、問屋場跡で幸手宿マップ確認、本陣知久家跡は現在「うなぎ義語家」に。

 
 (永文商店シャッターアート)     (幸手宿マップ)

ここから脇道に入り、満福寺・幸宮神社・雷電神社・聖福寺・正福寺とまわりました。幸宮神社の本殿彫刻は市指定文化財、将軍家の休息所と伝わる聖福寺の山門は勅使門と呼ばれています。 又境内には松尾芭蕉の句「幸手を行けばくりはしの関」や曽良の句の銘鈑があります。

 
 (幸宮神社)                 (幸宮神社本殿彫刻)

 
 (聖福寺・勅使門)               (芭蕉・曽良の句銘鈑)


 (幸手の一里塚)

正福寺を出たところに「幸手の一里塚」が、その先には文久年間(1861)創業の「石太菓子店」で名物「塩がま」を試食し権現堂堤へ向かいます。 ここは、利根川・権現堂川(現、中川)の氾濫から江戸を護るため天正4年(1576)築かれた堤です。天気も良くお弁当を買い求め土手での昼食タイムとしました。






(権現堂堤で昼食)

 
 (権現堂堤の様子)              (権現堂堤の桜並木)

食後、中川に架かる外野橋を渡り行幸湖の噴き上げ高さ36.6mの大噴水を見て午後のスタートです。堤下には若木の河津桜が満開となり25日からの桜まつりを迎えようとしております。 堤には多くの記念碑が建てられておりました。行幸橋を渡り4号線と別れ脇道の旧街道に入ります。 筑波道追分道標には、「左日光道」「右つくば道」「東かわつま前ばやし」と刻まれた道しるべが、その先幸手市と久喜市(旧栗橋)の境を越えると十三里目の「小右衛門の一里塚」が、塚上には弁財天堂が再建されています。

 
 (筑波道追分道標)              (小右衛門の一里塚跡に弁財天堂)

この付近には門と白い蔵を残す旧家があります。会津藩士が洪水で街道がわからなくなり、助けた老人が狐の化身と分かり稲荷様として祀った「会津見送り稲荷」、 関所破りが「火あぶりの刑」に処せられた刑場跡で供養するために造られた「焙烙地蔵」等をみて栗橋宿に入りました。

 
 (蔵を残す旧家)                       (会津見送り稲荷)

栗橋駅入口の信号で本日は終了でJR栗橋駅に向かいます。途中、電柱には「カスリーン台風の水位」が表記されており、2.9mの記録もありました。 午後から天候不安定の予報でしたが、行程中穏やかで暖かな一日でした。お疲れさまでした。
  
 (焙烙地蔵)                (栗橋宿の町並み)  (カスリーン台風の水位標)

                                 37期ハイキングクラブ部長