9 彩の国いきがい大学熊連協

現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています


史跡めぐり

史跡クラブ今年3回目の歴史探訪
            (群馬県庁周辺)


 今日(9/12)は朝から強風が吹き荒れていたが、空はカラっと晴天模様。
 長袖にしようか迷ったが、皆さん殆どが半袖でお出まし。
 この2年ぐらい見ても年数が経ったのとお互い歳を取ったせいか、参加人数も一桁の時もありましたが、今回は場所が近場で手頃、”群馬県で一番高いところの見晴らしが良いところで景色を見ながら、食事ができる”との 前宣伝も効いたのか15人の人が集まりました。(一人、緊急のアクシデントで欠席)
 久し振りに会ったせいか、気心が知れている仲間故、電車の中では皆気を遣わず 大きい声で話していたが、平日で高崎方面ゆえ座席はゆとり気味で人様には迷惑は かからなかったと思います。


(熊谷駅:高崎線8:40分前橋行き「笑顔コンテスト」)

 下見した4月から5ケ月振り。いくつもあるバスタ-ミナルで県庁行きのバスが判らなかったが、皆さん年の功で傍にいる人に遠慮なく聞き、タイミングよく来たバスに乗車。


(前橋駅前ロータリー)            (群馬県庁行きのバス停留所)

  県庁バス停留所で降り、県庁を横に見ながら後でゆっくり見ることに、初めに行ったのは雨の中下見をし、県庁の展望台から霞んで見えたお寺があり、史跡クラブなのでここに行こうと決めた。


(群馬県庁は後でゆっくりと)         (群馬中央病院)


(日差しは柔らかです)

 県庁バス停から徒歩約10分、約400年前に建立された「龍海院」を訪れた。


(曹洞宗大珠山是字寺龍海院)


(龍海院の由来  ☝写真クリックで拡大)    (お水取り)

 徳川家康公の祖父で岡崎城主の松平清康公が家老の酒井正親公に龍海院の外護を命じ、以後酒井氏の菩提寺となった。 正親の子重忠公は武州川越の藩主となり、川越に移った後、前橋に移り現在に至り、今のお寺は約200年前に建立された。
 重厚荘厳な佇まいで敷地内に酒井家の歴代の墓地があり、一つ一つが敷地の広い大きいお墓の林立した光景は圧巻。


(住職のお話し)


(祭壇に礼を)                (酒井重忠公墓所)


(龍海院の前で集合写真   ☝写真クリックで拡大)

 いよいよお昼、県庁のある見晴らしの良い”くろ松”で待望の昼食。お酒好きがいてボトルで頼み、気持ちよく飲んでいました。 これから大事な見学があるのに大丈夫かなあ!

(県庁展望台から赤城山)


(前橋の街)


(昼食)


(昼食)


  (昼食)


(昼休み)

 県庁から歩いて約10分、今日の本命”臨江閣”に到着。事前にボランティアさんをお願いしていたので自転車でいらしてくれました。


(ボランティアさんが自転車で) (前橋公園)


(臨江閣別館 玄関)

 国指定重要文化財で、当時の群馬県令(知事)の楫取基彦(かとりもとひこ)の提言により初代前橋市長始め、地元有志、銀行等の企業の寄付で建築された「迎賓館」です。
 利根川の流れに面し、妙義、浅間の各山々を遠望でき、ゆったりとした緑豊かな情調ある素晴らしい庭園があり、こころ休まる風情である。本館・別館・茶室からなっている。別館の1階には西洋間7室、2階には舞台を備えた180畳の大広間がある。

(前庭での説明、バックに本館玄関)      (中庭から本館と別館を見る)









 皆興味深く見学し、2階の休憩所で集合。
 大沢幹事より、自由解散の言葉がありましが、結局みんなでバスに乗り、前橋駅に到着。時間を待たず、電車が出発、高崎駅で乗り換え、帰路へ。


 時間も早めに終わり、皆さん、満足した様子で5時過ぎには自宅に生還出来たでしょう。
 幹事の皆様、4月の下見、その後の準備等大変お疲れ様でした。

                 幹 事 大沢勝重 原田幸子 東山勝代 佐藤健一
                                    記 佐 藤