現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています



(宇都宮市野沢町・光明寺楼門前で)

ハイキングクラブ


日光街道・宇都宮宿から徳次郎(とくじら)宿を歩く


(スタート地点)
 11月10日 第15回「宇都宮宿~徳次郎宿」 9名参加
 今回は、宇都宮宿・奥州街道追分地点から日光街道・中徳次郎バス停まで10.5Kmを9名で歩きました。この日は快晴の天候のもと宇都宮駅に到着。次回以降のバス乗り場を確認をし、「伝馬町バス停」までバス移動です。
 9時30分奥州街道追分の説明板から清住町通りへとスタート、黒塀と大谷石の石蔵が。残っている通りです。火防の神を祀る三峰神社、日限地蔵尊を祀る宝勝寺、蒲生君平・宇都宮藩士の墓がある桂林寺と寺社も多くあります。 又宝勝寺付近にあったという27里目の「宇都宮の一里塚」は説明板が立っています。


(蔵造りの商家(1))    (蔵造りの商家(2))      (三峰神社)


(宇都宮の一里塚 ☝写真クリックで拡大します) (宝勝寺本堂)


(桂林寺本堂)                (桂林寺と琴平神社)

 松原町には、馬産地において名馬の誕生を祈願する信仰の「勝善神(そうぜんしん)の碑」が。その先には、栃木医療センター(旧帝国陸軍第14師団の駐屯地跡)敷地内には地域の地名の由来となった樹齢450年以上の宝の木「児の手柏(コノテカシワ)」が。
 薬師如来像を安置してある薬師堂、脇には文政5年建立の如意輪観音像十九夜供養塔等の石仏石塔群が。高尾神社には狛犬16体が。

(勝善神の碑)     (宝の木を見る)     (薬師堂石仏群)


(高尾神社16体の狛犬  ☝写真クリックで拡大します)

 宇都宮環状道路を横断すると桜並木が始まります。

(大谷石の蔵)                 (桜と欅の並木)

 11時40分和食処で昼食タイム。海鮮丼にそば又はうどんのランチで休憩とお腹を満たし、13時午後のスタートです。最初に28里目の「上戸祭の一里塚」西側には檜と碑が、東の塚は半壊し碑が立っている。

(上戸祭りの一里塚)    (一里塚前で ☝写真クリックで拡大します)

 更に進むと、かって庄屋だった中山家の本陣門が残っています。その先には光明寺が、鎌倉時代の創建で本尊は大日如来、将軍日光社参の際には境内に御茶屋が設けられ、寺の前には立場があったと云われている。入口には立派な楼門と鐘楼が掛けられています。

(庄屋中村家本陣門)             (光明寺本堂前)


(光明寺楼門前  ☝写真クリックで拡大します)

 ここから約2.7Km、途中宇都宮IC入口を通過して37分ひたすら歩く。日本橋から29里目の「高谷林の一里塚」に到着。江戸時代の面影が残る一里塚で東の塚には杉、西の塚には桜と檜が生えている。

(街道沿いの紅葉)


(高谷林の一里塚(東塚))      (高谷林の一里塚(西塚))

「第六接合井」は大正四年建設の水道施設で浄水の送水管にかかる圧力を調整していた処です。煉瓦造りの上屋は登録有形文化財指定です。

(東北自動車道をくぐる)           (第六接合井)

「大谷道の道標」は交差点の中にあり「大谷道」「下徳次郎」と刻まれ、ここから徳次郎宿となる。

(大谷道道標)              (街道沿いを歩く)

 「徳次郎宿」は江戸から18番目の宿場で上・中・下の3つの宿場に分かれていた。徳次郎石使った石蔵が残っています。 「薬師堂」には三面六臂馬頭観音像側面に「右ハ山道 左ハ氏家・白沢道」と刻まれた道標が。田中道道標には「神社入口道約五丁 田中道」と刻まれ、神明神社への道標。

(徳次郎石の蔵)               (薬師堂石仏)


(馬頭観音像の道標)             (田中道道標)

徳次郎交差点を過ぎ「中徳次郎バス停」に15時20分到着でゴールです。歩数計は21000~22000歩お記録。お疲れ様

(ゴールのバス停)

今回は並木道が現れ日光街道らしい雰囲気となったとの感想も聞かれました。
次回は 12月8日です。

                             37期 ハイキングクラブ部長