現在、彩の国いきがい大学熊谷学園2年制4期校友会は40名の会員が活動しています


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ふるさと大発見クラブ

平成28年4月17日(日)
16名が車4台に分乗して神川町・本庄市児玉方面に出かけました。コース(主な見学場所)と日程は以下の通りです。

本庄駅( 出発9:40 )--原邸別荘庭園「天神山」(10:20~11:10)--
神流川水辺公園( 昼食 11:20~12:10 )--金鑚神社(12:30~13:30)
塙保己一記念館(14:00~14:40)--本庄駅(15:10解散)

①原邸別荘庭園 「天神山」




実業家である原善三郎(賀美郡渡瀬村生まれ)が自宅裏に造った庭園。神流川の流れを巧みに取り入れたもの。毎年4月1日~4月30日の1か月間だけ、無料公開されている。
慶応元年(1865)横浜の弁天通りに「亀善」という屋号で生糸輸出業を営む店舗を開き、以後生糸貿易を続け横浜有数の貿易商となる。
明治18年郷里渡瀬尋常小学校校舎新築に際して500円を寄付している。明治26年郷里にあった共栄社という製糸会社を譲り受け、原製糸改所と称して弟の鉄五郎に経営をあたらせた。
造園を趣味とし、郷里には天神山公園、横浜には三渓園などを造った。孫娘の婿(原富太郎)は横浜の三渓を名のり、神奈川県横浜市の三渓園を造り市に寄贈した。初めての人が多く、自然を満喫できたようだ。




②金鑚神社

(金鑚神社拝殿)

日本武尊が東征の際に創建したと伝えられている。拝殿の奥にある三室ケ嶽一帯を御神体として祀っています。したがって本殿が無く、拝殿のみという構造です。こうした拝殿のみで神体山を祀る、古い祭祀形態をとどめている神社は全国でも珍しく、長野県の諏訪大社と奈良県の大神神社と合わせて3社だけと言われています。実際にお参りするとこの神社の荘厳な雰囲気が伝わってきます。

③金鑚神社多宝塔

(多宝塔)

国指定重要文化財。金鑚神社の境内にあり、三間四面、杮葺き、高さ約14m、総朱塗り。天文3年(1534年)、武蔵七党で名高い安保弾正全隆が子孫の多幸を祈るために建立したものです。歴史を感じさせる風格のある建築物であった。

④御嶽の鏡岩

(鏡岩)

国指定天然記念物。岩断層活動のすべり面で、摩擦によって表面が鏡のように磨かれています。岩質は赤鉄石英片岩で、岩面の大きさや、断層の方向が分かっていることから地質学的に貴重な露頭となっています。急な斜面を15分ほど歩いた所にあり、かつて高崎の大火がこの鏡岩に映ったと伝えられる。一見する価値がある場所だと思う。

⑤塙保己一記念館

(新装なった塙保己一記念館前で)

本庄市児玉町八幡山368番地 「アスピアこだま」内にあります。盲目の国学者、本庄市が世界に誇る偉人です。
延享3年(1746年)武蔵国児玉郡保木野村に生まれ7歳で失明しました。15歳の時に江戸に出て雨富検校の弟子となりました。萩原宗固や賀茂真淵等に学び国学の道へ進みました。
34歳の時「世のため、後のため」にと「群書類従」の編纂を決意、以後40数年をかけて、失われつつある各種文献を収集してまとめた「群書類従」正編666冊を完成させました。
48歳の時には和学講談所を設立、多くの門弟を育成し、国学の発展に大きな業績を残しました。文政4年(1821年)盲人一座の最高位の総検校に就任しました。
新装なったこの記念館では遺品及び関係資料(埼玉県指定文化財)を収蔵展示し、保己一の残した偉業について詳しく紹介しています。以前の記念館と違い、交通便利な広い場所に新しく建てられたので見学しやすかった。文化財を大切に考える市の姿勢を感じた。

  (文責 柴崎一正)


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