現在、彩の国いきがい大学熊谷学園2年制4期校友会は45名の会員が活動しています


ふるさと大発見クラブ

熊谷市内めぐり

9月12日(土)に18人の参加で今回は熊谷市内巡り(熊谷市内のお勧め処)です。
八木橋(出発10:00)⇒宮沢賢治歌碑見⇒片倉シルク記念館⇒星渓園⇒石上寺⇒昼食(八木橋)⇒平山家住宅⇒根岸友山・武香ミュージアム⇒長島記念館⇒八木橋着(16:30・解散)

午前中の熊谷市内巡りは徒歩で、午後の平山家住宅・根岸友山・武香ミュージアム・長島記念館の見学は車に分乗しました。

1.宮沢賢治歌碑

(宮沢賢治の歌碑に見入る)

○熊谷の蓮生坊が建てし碑の旅はるばると泪あふれぬ
○武蔵国熊谷宿の蠍座の淡々光りぬ九月の二日

2.片倉シルク記念館
地元の有志・三枝、青木、柿原の3人が創業した三木原製糸を明治40年に片倉組が買収して石原製糸場を開業した。これが後の(株)片倉工業熊谷工場である。



熊谷の製糸業は周辺が繭の生産が盛んであったこと、良質の水が豊富であったという好条件によって発展したものである。明治期から戦前期まで生糸の街として有名だったが、昭和50年以後、貿易の自由化によって製糸業は衰退した。片倉工業も平成6年に生産を中止し、平成11年に工場の建物も取り壊された。現在は敷地の一角に片倉シルク記念館を開館して製糸業の姿を後世に伝えることに役立っている。


3.星渓園(名勝)
昭和29年に市の名勝に指定される。元和9年(1623)に荒川の洪水により、当園の西方の北条堤の堤防が切れて池が生じた。この池は清らかな水が湧き出て「玉の池」と呼ばれ星川の源流となっていた。
慶応年間から明治初年にかけて竹井湛如翁(明治12年県議会の初代議長)によって造られた回遊式庭園。総面積3613㎡、池の面積1020㎡、建物は3棟現存している(星渓寮・松風庵・積翠閣)。昭和25年に市が譲り受け平成2年から4年かけて復元・整備された。星渓寮の前庭には袖振り石、天桂石などが置かれ、植物は約百種、十王供養塔、灯籠、句碑などがある。

4.石上寺
星河山石上寺は真言宗智山派に属し、寛永年間(1624~1643)に竹井新左衛門尉信武(竹井家第1世)が開基し、その子栄光が開山である。熊谷を支配していた鉢形城主北条氏邦は、天正2年(1574)松岩寺あたりから石上寺先あたりまで堤を築いた。これが北条堤で今でも高台になっている。


(石上寺の花塚・芭蕉の句碑)

しかし堤はその後も決壊を繰り返し、仏の加護を願って堤のかたわらに建てられたのが石上寺で、石を積んだ上に建てられた寺という意味である。芭蕉の句碑があり「花塚」と言われている。「しばらくは花の上なる月夜哉」である。
岡安住職さんの話
♢忍城水攻めの時、荒川より水を取り入れた場所は、現在の住まいのすぐ裏手であると伝えられいる。
♢熊谷空襲の際に、頬の焼けた弘法大師像があり「戦後70年熊谷空襲の記憶展」に出品されていた。
♢本堂前のケヤキの大木は、焼夷弾の爆撃で焼かれた痕が今でも残っている。

(本堂前で全員集合)

5.平山家住宅

(平山家住宅前に全員集合)

中世の館跡に建てられた江戸時代中期の建築物で、平屋建て大きな茅葺きの屋根が特徴です。
関東でも有数の農家住宅として、昭和46年に国の重要文化財に指定されている。
正面は17,4m、側面は11,6m、吹き抜けの天井のある土間は約40畳の広さがあり、5つの部屋を有している。平山家は村内で名主を務めた旧家で屋敷周りに現在も濠が残っている。






6.根岸友山・武香ミュージアム

(根岸家長屋門)

江戸時代以降冑山・箕輪村の名主として80町歩を有した豪農の根岸友山・武香の生家。長屋門は必見。武香は県議会の2代目議長で、「新編武蔵風土記」を刊行して吉見百穴を発掘した。

 
(根岸友山・武香ミュージアム内でのDVD視聴)  (以前使用されていた根岸家住居)

今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の小田村伊之助(後の楫取元彦)とも交流があった。また武香に宛てた久坂玄瑞の書簡も残っている。すぐ近くに墓所あり。また隣には漢学者である寺門静軒の墓もある。

7.長島記念館
  元埼玉銀行の頭取・会長を務めた長島恭助氏の生家を利用し平成6年に開設。川合玉堂、横山大観等の絵画や刀剣など多数展示。

(長島記念館内の絵画)


(渋沢栄一直筆の書)
幸い好天に恵まれ午前中は徒歩、午後は車に分乗して効率よく見学しふるさと熊谷の良さを改めて知ることができました。
                          (写真提供…尾畑、柴崎記)

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