ハイキングクラブ
3月7日の「平成30年度総会」時に呼びかけた「日光街道を歩こう!」という企画が具体化をし、7月29日台風12号の進路に悩ませられながらも第1回がスタート致しました。
日光街道は五街道の一つで、日本橋から鉢石(日光市)までの約140Km余りの街道です。今回、この区間を17~18回に分け、月1回の予定で歩く計画といたしました。
当クラブも平均年齢70.7歳(4月1日現在)と高齢化し、この計画を実施するのは今しか無いと判断、資料等も用意して準備を進めてきました。
基本的に全行程を歩かれる方、参加できるときに歩かれる方等様々ですが、宿場町や街道沿いの由緒・往時の歴史を解き明かす良い機会かと思われ計画致しました。
ハイキングクラブ部長
「日光街道」を歩く・日程決まる 日光街道(道中)ウオーキング第1回~第3回のご案内
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第1回 日光街道歩き(日本橋~北千住宿)
日光街道は誰もがご存知?の日本橋がスタート地点。東京駅を降りわずか15分程度で日本橋に到着します。一日10キロ前後を18回にわたり、毎月一回歩いて走破しようという長くて楽しいウオークが始まりました。
今回はこの企画に10名(男性6名、女性4名)がチャレンジ、日本橋で記念写真を撮影後、いよいよこれから日光迄の道を午前10時にスタート、ゆっくりと歩き始めました。
(日本橋スタート)
(日本橋欄干) (日本国道路元標)
(道路元標複製) (魚河岸跡)
日本橋を渡り三越デパートを左に見ながら室町3丁目を右折、旧日光街道の標識を探して歩きましたがなかなか見つからず行ったり来たりを繰り返し、江戸伝馬町の処刑場跡の大安楽寺等をお参りし、先程歩いた道へ戻り旧日光街道の標識をようやく探し当て、その後馬喰町や横山町の問屋街を通り浅草橋へ歩を進めました。
(旧日光街道標石) (吉田松陰終焉の地碑) (十思公園内の時の鐘)
(大安楽寺) (伝馬町処刑場跡)
昼食はどこでとるか、このまま浅草まで行ってしまうと人出も多い浅草では混雑するのではと、少し早めの昼食を浅草橋駅前のお寿司屋さんで頂きました。東京にしては思いがけずとてもリーズナブルで美味しいお寿司を頂くことが出来、皆さん満足していたようでした。
(昼食風景)
昼食後、総武線のガードを過ぎ浅草橋から花火屋やおもちゃ屋などが多い店の前を通り蔵前橋や厩橋等、隅田川にかかる橋を右手に見ながら歩き浅草寺雷門近くの駒形橋に着きました。
(駒形どぜう店) (浅草寺駒形堂)
浅草界隈は昨日台風で中止になった「隅田川花火大会」が今日夕方から行われると言う事でその準備のため道路上にはいたるところ人の波を規制すると思われるガードが張めぐらされているのが印象的でした。
雷門前到着後、目の前の浅草文化観光センター(浅草の一里塚跡?・位置不明)の屋上にエレベーターで昇り浅草寺仲見世を上から見たり、高くそびえるスカイツリーや浅草独特の景色を楽しみ、その後浅草寺を参拝し姥ケ池跡から言問橋前に出て南千住方面へ、途中、待乳山聖天にお参りをし更に歩を進めました。
(雷門)
(待乳山聖天)
この辺りに来ると人通りの多かった浅草界隈とは打って変わって、人通りが少なくなりのんびりと歩くことが出来ました。
しばらく歩くと、前方に鉄道のガードとその先に南千住駅が見え、ここまで来ると今日の目的地に大分近づいて来きたと感じられ元気が出てきたように感じられました。
鉄道のガードを渡ったところに吉田松陰の墓などがある回向院、更に進むと「芭蕉旅立記念碑」のある素盞雄神社に参拝、千住大橋を渡りきると「奥の細道矢立初めの地碑」を見学、右手に入り千住仲町商店街へと歩を進めました。
(回向院内松陰の墓) (小塚原刑場跡)
(素戔雄神社) (芭蕉旅立記念碑)
(矢立初めの地碑)
途中、「千住宿歴史プチテラス」に立ち寄り、千住宿の展示品と木骨土蔵造りの内部を見学しました。
(芭蕉像) (千住宿歴史プチテラス)
商店街を歩きながら「千住の一里塚」を探しましたが見つからず、いつの間にか今日の目的地である北千住駅前の交差点まで来てしまい、地元の方に尋ねましたがはっきりとは分からず案内書に書かれている場所迄700m程戻りようやく見つけることが出来、再び駅入り口(千住宿本陣跡)まで戻り第1回目の予定コースを終了。16時07分に歩き終え万歩計の歩数は21076歩を指していました。
次回は「千住宿本陣跡」からスタートです。
佐藤 征行 記
日光街道は誰もがご存知?の日本橋がスタート地点。東京駅を降りわずか15分程度で日本橋に到着します。一日10キロ前後を18回にわたり、毎月一回歩いて走破しようという長くて楽しいウオークが始まりました。
今回はこの企画に10名(男性6名、女性4名)がチャレンジ、日本橋で記念写真を撮影後、いよいよこれから日光迄の道を午前10時にスタート、ゆっくりと歩き始めました。
(日本橋スタート)
(日本橋欄干) (日本国道路元標)
(道路元標複製) (魚河岸跡)
日本橋を渡り三越デパートを左に見ながら室町3丁目を右折、旧日光街道の標識を探して歩きましたがなかなか見つからず行ったり来たりを繰り返し、江戸伝馬町の処刑場跡の大安楽寺等をお参りし、先程歩いた道へ戻り旧日光街道の標識をようやく探し当て、その後馬喰町や横山町の問屋街を通り浅草橋へ歩を進めました。
(旧日光街道標石) (吉田松陰終焉の地碑) (十思公園内の時の鐘)
(大安楽寺) (伝馬町処刑場跡)
昼食はどこでとるか、このまま浅草まで行ってしまうと人出も多い浅草では混雑するのではと、少し早めの昼食を浅草橋駅前のお寿司屋さんで頂きました。東京にしては思いがけずとてもリーズナブルで美味しいお寿司を頂くことが出来、皆さん満足していたようでした。
(昼食風景)
昼食後、総武線のガードを過ぎ浅草橋から花火屋やおもちゃ屋などが多い店の前を通り蔵前橋や厩橋等、隅田川にかかる橋を右手に見ながら歩き浅草寺雷門近くの駒形橋に着きました。
(駒形どぜう店) (浅草寺駒形堂)
浅草界隈は昨日台風で中止になった「隅田川花火大会」が今日夕方から行われると言う事でその準備のため道路上にはいたるところ人の波を規制すると思われるガードが張めぐらされているのが印象的でした。
雷門前到着後、目の前の浅草文化観光センター(浅草の一里塚跡?・位置不明)の屋上にエレベーターで昇り浅草寺仲見世を上から見たり、高くそびえるスカイツリーや浅草独特の景色を楽しみ、その後浅草寺を参拝し姥ケ池跡から言問橋前に出て南千住方面へ、途中、待乳山聖天にお参りをし更に歩を進めました。
(雷門)
(待乳山聖天)
この辺りに来ると人通りの多かった浅草界隈とは打って変わって、人通りが少なくなりのんびりと歩くことが出来ました。
しばらく歩くと、前方に鉄道のガードとその先に南千住駅が見え、ここまで来ると今日の目的地に大分近づいて来きたと感じられ元気が出てきたように感じられました。
鉄道のガードを渡ったところに吉田松陰の墓などがある回向院、更に進むと「芭蕉旅立記念碑」のある素盞雄神社に参拝、千住大橋を渡りきると「奥の細道矢立初めの地碑」を見学、右手に入り千住仲町商店街へと歩を進めました。
(回向院内松陰の墓) (小塚原刑場跡)
(素戔雄神社) (芭蕉旅立記念碑)
(矢立初めの地碑)
途中、「千住宿歴史プチテラス」に立ち寄り、千住宿の展示品と木骨土蔵造りの内部を見学しました。
(芭蕉像) (千住宿歴史プチテラス)
商店街を歩きながら「千住の一里塚」を探しましたが見つからず、いつの間にか今日の目的地である北千住駅前の交差点まで来てしまい、地元の方に尋ねましたがはっきりとは分からず案内書に書かれている場所迄700m程戻りようやく見つけることが出来、再び駅入り口(千住宿本陣跡)まで戻り第1回目の予定コースを終了。16時07分に歩き終え万歩計の歩数は21076歩を指していました。
次回は「千住宿本陣跡」からスタートです。
佐藤 征行 記