現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は80名の会員が活動しています


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ハイキングクラブ


日光街道・千住宿から越ヶ谷宿を歩く
9月9日 第2回「千住宿~草加宿」  11名参加
 
 (本陣跡説明)☝クリックして拡大します

 前回ゴール地点「本陣跡」からスタートです。 千住宿は、一丁目「問屋場跡」から四丁目「千住高札場」由来解説板付近までの南北1Km余りで、江戸で三番目に賑わった宿場です。
 代々千住絵馬を造り続けている「吉田屋」、彰義隊が切りつけた刀跡(見学出来た)がある商家「横山家」、「名倉医院」等歴史を感じる建物が残っておりました。 荒川は、往時は無く1924年の人口河川「荒川放水路」とし造られ千住新橋がかけられています。この橋を渡り旧日光街道に戻ります。石不動尊・道標を見て進みます。


 (千住本町公園で)

  
 (千住絵馬屋吉田屋)        (横山家)              (横山家刀傷跡)

 
 (名倉医院)                 (石不動尊)

 道路端に国土安穏寺の石柱が。徳川家の祈願寺となり、「葵の紋」の使用が許された寺です。その先の鷲神社(島根村の鎮守)では秋のお祭り開催中で、宮司・会長のお二人に境内の案内をして頂きました(神輿・富士塚・将軍石(八代将軍吉宗が腰かけた石)・お囃子等)。 又、鷲神社付近に位置不明ですが三番目の一里塚があった所です。
 
 (国土安穏寺石門)      (鷲神社)

 
 (鷲神社宮司の説明)                      (火あぶり地蔵)

 竹ノ塚駅近くで昼食・休憩を摂り午後の行程に出発です。水神橋は毛長川を挟んで足立区と草加市の境界で、埼玉県に入りました。浅間神社・火あぶり地蔵・草加の一里塚(四里目)位置不明(石関医院付近)・「今様草加宿の碑」から草加宿・浅古地蔵尊(草加市役所角)・草加道路元標をそれぞれ見て本日のゴールです。
 
 (草加宿入口)           (浅古地蔵尊)


 (日光街道石碑)

 (草加道路元標)

今回、9.7Kmの行程を約5時間(休憩含め)、蒸し暑い一日でしたが元気に完歩しました。お祭り開催地区では平素見られない物が見学することもでき次回も楽しみです。
10月14日 第3回「草加宿~越ケ谷宿」  9名参加

 草加駅を降りると草加せんべいのシンボル「おせんさん」の像が。今日は草加道路元標からスタートです。草加宿は二度の大火で壊滅し今の町並みは明治の大火以降のものです。

 
 (草加駅前のおせんさん像)

 本陣等の史跡碑があるだけでした。東福寺は草加宿開祖の大川図書創建の寺でお墓もあります。途中お土産のせんべいを購入、更に当時の風情を残す久野屋住宅(現在、案内所)に立ち寄り草加松原へ。
 
 (大川本陣跡碑)      (東福寺)

  
 (大川図書の墓)       (創作せんべい)         (久野屋住宅(現・案内所))

 市内中心部を南北に流れる綾瀬川沿いに約1.5Kmの松並木で江戸時代から日光街道の名所として知られ、遊歩道には芭蕉・奥の細道碑「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」や多くの句碑が残されています。
  
 (松並木遊歩道)                        (芭蕉「奥の細道」碑)


 (矢立橋にて)

 
 (蒲生の一里塚)         (昼食)

 蒲生大橋を渡ると越谷市へ、県内で日光街道唯一の現存するムクエノキの立つ「蒲生の一里塚(五里目)」に立ち寄り、更に左甚五郎作と伝わる金網に囲われた「龍」の彫刻がある清蔵院を見学、蒲生駅近くで昼食・休憩としました。
 食後、照蓮院まで見学の史跡もなくひたすら歩きます。このお寺には武田勝頼の遺児・千徳丸の墓所があります。越ケ谷二丁目付近にあった六里目の「一里塚」は位置不明でした。越ケ谷宿は明治に二度の大火で宿並みは焼失し一部昔の建物(脇本陣四ツ目屋跡・塗師屋・鍛冶忠)が現存しているだけです。 宿場の北外れに大沢香取神社があります。地元の総鎮守として立派な社殿で七五三のお参り客が見られました。奥殿外壁には「紺屋の作業風景」が彫刻され、当時、染め物業が盛んだった様子がうかがえます。
この先、北越谷駅入口で本日のゴールでした。
  
(「千徳丸」の墓) (脇本陣四ツ目屋跡)         (塗師屋)

 
 (鍛冶忠商家)                 (香取神社入口)

 秋の気配となった今回は、約9.0Kmの行程を5時間30分(休憩を含み)、当時の由緒に立ち寄りながら完歩しました。
                                 37期ハイキングクラブ部長 記