ふるさと大発見クラブ
平成28年10月1日(土)
昭和橋道の駅 午前9時30分出発。田山花袋の小説「田舎教師」の歩いた道を18名で文学散歩しました。
(文学館の学芸員阿部さんから説明を受ける。) (名作田舎教師の生まれた書斎再現)
第1回目の今回は、館林市の田山花袋記念館でアウトラインのガイド受けた後、羽生市・弥勒へ行ってきました。
(幼少時の花袋(右端)) (花袋の書斎(机は当時のもの))
(装丁の移り変わり。初版に近い装丁)
(昭和後期の装丁) (平成26年の装丁)
(旧宅)
花袋の旧居。花袋は田舎教師を執筆するにあたって、建福寺住職から受け取った実在の小林秀三の日記を参考にしたそうです。
若くして他界した青年教師を「林 清三」に置き換えて、行田市、羽生市の風物を描き、田舎教師として、明治42年に発表しました。島崎藤村らと共に自然主義文学(ありのままを書く)の牽引者でした。
(隣接する旧上毛モスリン事務所の外観) (当時の立地を町の模型で説明を受ける。)
(館林城土橋門) (城ガイド)
館林では外せない館林城跡もガイドしてもらいました。土橋門。徳川綱吉が城主の頃は25万石。文学散歩よりもこちらの方に興味を持った参加者も多かったようです。
(復元された城壁) (昼食は羽生SAの「鬼平江戸処」)
羽生サービスエリア「鬼平江戸処」は一般道からも入れます。
(お種さんの資料館) (お種の墓)
羽生市に入り、円照寺・お種さん資料館と、近年建てられたお種さんのお墓。
お種さんとは、小説の中で、田舎教師の林清三が学校の宿直室で生活していた時期、食事を運んだ、実在の料理屋の娘(小川ねんさん)。
(弥勤小学校跡) (ブロンズ像)
田舎教師の林清三が代用教員として、務めた弥勒高等小学校跡。今は校舎の跡に建ったコンビニ店等も廃業。
その前にある林清三のブロンズ像。ちなみに、弥勒と云うのは、約56億年後にこの世に現れ、衆生を救う菩薩のことです。長生きして救われましょう。
(弥勒菩薩は、この人を救うかどうかを考えている姿?)
(詩碑) (松原跡)
小学校の生徒を連れて遊びに行ったといわれる、利根川の土手(発戸の松原跡)。そこにある碑には「松原遠く日は暮れて 利根の流れのゆるやかに・・・・」の詩が刻まれている。
土手には松はなく、サイクリングロードが続いていました。
文学散歩の第一歩は、幾分かは「昔の文学少女・青年」に戻れたところで、午後3時半頃解散しました。
第2回は、羽生市内の建福寺の住職のお話を聞き、近辺を散策する予定です。
田山花袋記念文学館の学芸員阿部さん、文学館をはじめ、旧居・モスリン事務所・館林城跡の丁寧なガイドをありがとうございました。
尾畑(記)