現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は69名の会員が活動しています。



(スタートの大沢杉並木  ☝クリックで拡大します)

クラブ活動 ”ハイキングクラブ”

「日光街道・大沢宿から今市宿を歩く」

(杉並木寄進碑から)
 10月25日 第17回「大沢宿~今市宿」 8名参加

 昨年12月、16回目の街道歩きが「大沢杉並木入口」で終了以降コロナウィルス禍の影響で順延が続いておりましたが、10月25日・26日と一泊二日の日程で「マスク着用」「手洗い・うがいの実施」等ソーシャルディスタンスを遵守し実施致しました。
  宇都宮駅➯大沢並木入口バス停で下車。松平正綱が約20年かけ植栽し、東照宮に寄進した杉並木は日光街道・例幣使街道・会津西街道の三つの街道で総延長37Kmに及び「世界一長い並木道」としてギネス世界記録に認定されています。その由来がかかれた碑が「寄進碑」で、10時30分起点のここからスタートです。
 700mの並木を過ぎると「大沢宿」、度重なる大火で当時の面影はありません。杉並木の中を「王子神社の大イチョウ」四本の杉を四角形に植栽した「大沢の四本杉」32里目の「水無の一里塚」「延命地蔵尊」と見ながら歩きます。

(元気にスタートです)                  (王子神社の大イチョウ)


(大沢の四本杉)       (水無の一里塚)        (延命地蔵尊)
 途中600mほど杉並木の途切れた箇所で「そば」ののぼり旗に誘われて行くが予約客で満席とのこと。途中の空き地で持参のおにぎりで昼食でした。

(山伏千手院跡石仏)       (杉並木を歩く)

 更に進むと森友公民館で声をかけられ「公民館文化祭」に立ち寄り、作品鑑賞と休憩をして「けんちん汁・飲み物」を頂き、地元の人々とのふれあいもできました。お話によると、コロナ渦で初めての行事とのこと、もちろん、手指消毒・記帳をしてからの始まりでした。

(森友公民館)                (来迎寺)

 更に杉並木を進むと、杉の割れ目から山桜が寄生した「桜杉」。杉並木の中に「保護地域・特別保護地域」の標識。杉1本を1千万円で購入する「杉並木オーナー制度」で杉の木の樹勢回復事業の「購入者の銘鈑」(2020年3月末で553本の杉に412のオーナー)も見られます。

(高い杉並木)        (桜杉)            (杉並木オーナー銘鈑)

 33里目の七本桜の一里塚では根元に大人が七人入れた大きな空洞で「並木ホテル」と呼ばれています。

(七本桜の一里塚)              (並木ホテル ☝クリックで拡大します)

 更に進むと「今市宿」。日光街道・例幣使街道・会津西街道の合流する交通の要所で商業が盛んな20番目の宿場です。 例幣使街道の合流地点を追分と呼ばれ、「追分地蔵尊」「例幣使杉並木街道標」、枝を切ったところに別の杉が寄生した「追分の変わり杉」を見学。 左右に東武とJRの駅がある小倉町交差点に14時20分到着。本日の終了地点でしたが、時間が早く更に「今市宿の町並み」を見学することにしました。

(追分地蔵尊)                (追分地蔵堂)


(例幣使杉並木街道案内柱)                (追分の変わり杉)

 最初に二宮尊徳を祀り、安政3年70歳で亡くなり社殿裏に墓がある「報徳二宮神社」、二宮尊徳の葬儀が行われた「如来寺」、門前には「戊辰戦役供養塔」が。 高橋本陣跡は現信金に脇本陣跡は現在「今市宿緑ひろば」となっています。

(報徳二宮神社)                     (尊徳の墓)


(社殿前で)


(如来寺)          (本殿前で)          (戊辰戦役供養塔)

又、旧商家(漬物や)が、「日光誉」の蔵元渡辺佐平商店では店内での試飲も楽しめました。

(旧商家前)


(渡辺佐平商店前で)


(試飲中)

 15時40分ここで本日の街道歩きは終了です。皆さんの歩数計は23000歩前後でした。本日の宿は「日光屋旅館」です。ボリュウム満点の夕食とアルコールで明日への英気を養い休養を取りました。

                                   ハイキングクラブ 部長