現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています



(雀宮 仮本陣前で)

ハイキングクラブ


日光街道・石橋宿から雀宮宿を歩く

 9月8日 第13回「石橋宿~雀宮宿」 9名参加
 台風15号が9日未明関東へ上陸の予報の中、9名で9月計画の日光街道を歩きました。
 熊谷7時48分発の指定列車に各駅から乗車予定も、25分前後の列車遅延で混乱、連絡を取り合い無事大宮に到着。東北線に乗換て石橋駅に9時20分無事到着でした。
 石橋駅前には「グリムの時計台」があり、「なぜ、ここにグリムの時計台が」という疑問の声が。この駅の近くに‘グリムの森、がありPRのために設置されたようです。出発前に記念の1枚を。

(石橋駅前で)

 前回のゴール地点駅入り口交差点からスタートです。交差点そばに壮観な建物が、江戸時代に壬生から移り現在クスリ屋とのこと。

(明治時代の建物)

 将軍日光社参の際「御殿所」となり、葵紋の使用が許された「開運寺」は立派な境内の寺社です。石仏石塔群は風化が進み如意輪観音像の他は新しい石碑となっていました。

(開運寺山門)         (開運寺本堂)        (石仏石塔群)

 この先に「木造薬師如来立像と木造十二神将像」が安置されている薬師堂が見つからず、近くの民家の主婦に話を聞くと、道路拡張のため撤去されているとのことで、写真を持参して説明をして頂けた。 (写真参照)、地域の人々の深い思いを感じたひと時でした。


(木造薬師如来立像(写真))  (木造十二神将像(写真))

   宿場を過ぎると当時の遺構は残っていないようで、日本橋から二十四里目の一里塚も位置は不明でした。
 1380年小山宇都宮の戦いで、村人が戦死者の鞘を拾い集め堂を建てた「鞘堂地蔵尊」。地域の鎮守としての「星宮神社」には多数の石祠が。北関東道路高架下には「結城道追分」が。

(鞘堂地蔵尊)         (星宮神社)         (星宮神社石祠)


(結城道追分)                        (追分の先に北関東道路高架橋)

 この先陸上自衛隊宇都宮駐屯地を横目に歩きます。約1.7Km程歩き昼食タイム。空調のきいた店内にホットひと息をしてお昼のランチ「かつ重」に満足。活力を得て午後のスタートです。

(北関東道路を越えて歩く)

 最初に、雀宮宿入口の安塚街道入口を通過して「正光寺」へ。本尊の阿弥陀如来像と境内には牛頭天王社が祀られていました。

(正光寺)                   (正光寺・牛頭天王社)

 雀宮本陣跡には石碑が立ち、向かい側には門構えや式台を残す芦谷家の脇本陣残っています。

(雀宮本陣跡碑)  (仮本陣門構え)       (仮本陣建物)


(仮本陣前で    ☝写真クリックで拡大します。)

 雀宮神社の手前には「馬頭観音」。雀宮神社は1713年東山天皇から金文字で「雀宮」と書かれた勅額を賜り、この勅額を掲げられていたため日光社参の将軍・諸大名は下馬して参拝したと伝えら、又この辺りが雀宮宿北の出口であった。
 少し先に「東京から100Km」の距離ポストで記念の写真を。この先左側に旧日光街道となる旧道が約850m(宇都宮環状道路)まで歩き本日の街道歩きは終了です。ここから雀宮駅へ・・・お疲れ様でした。

(馬頭観音碑)    (雀宮神社・鳥居)         (雀宮神社本堂)


(東京~100Km1 ☝写真クリックで拡大)             (東京~100Km2 ☝写真クリックで拡大)


(旧日光街道です)              (旧街道の両側にはディラーが)


(旧街道に大谷石の蔵が)           (ゴール地点宇都宮環状道路)

 台風前で蒸し暑く、日差しも時たま覗かせて気温32℃位のなかでした。本日は15000歩前後でした。

                             37期 ハイキングクラブ部長