現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています


ハイキングクラブ


日光街道・小金井宿から石橋宿を歩く

8月4日 第12回「小金井宿~石橋宿」 9名参加
 8月の日光街道歩きは、梅雨明け以降7日間続く猛暑日の中を9名で歩いてきました。
 スタート駅の東北線小金井駅に9時10分到着です。熱中症対策のチエックと準備をし前回の終了地点・駅前交差点の先旧街道交差点へ。ここを9時30分スタートです。
 旧街道を進むと畑に突き当たりますがその先に榎の大木が、ここが小金井の一里塚です。江戸から二十二里目の一里塚は左右両塚を残し、砂利敷の道幅を知る「国指定の史跡」です。

(一里塚説明板)                           (史跡・一里塚)


(小金井一里塚で)

 国道を進むと「領主陣屋跡」(現菅井製菓)が、その先には俳人谷素外と小金井の俳人12名の「俳諧の句碑」が。
 日光社参の将軍がここで昼食を摂ったという「慈眼寺」には観音堂や鐘楼が、本殿壁面に壮麗な彫刻がある「金井神社」、

(俳諧の句碑)    (慈眼寺・観音堂)         (慈眼寺)


(金井神社)                       (金井神社・壁面彫刻)

崩れ落ちる店蔵2軒、大越本陣門(四脚門)、「連行寺」、小金井宿の北の入口付近と云われる「薬師堂」等小金井宿を偲ぶ一部を見て歩きました。

(本陣四脚門)                (日傘をさして歩く)


(薬師堂)                           (薬師堂・十九夜塔)

 この先から旧日光街道に入るが、歩ける箇所と通行できない箇所があり旧街道と国道4号を出入りしながら進みます。11時20分自治医大駅近くの食堂で早めの昼食を。毎回ボリュウームある食事に満足、午後の英気を補充致しました。
この区間には当時を偲ばせるものが少なく、雑木林の中に見つけた「下石橋の一里塚?」らしき塚が二十三里目です。この先「丸大ハム」工場正門わきに巨大な「慈母観音」立像があります。

(昼食はここで)                 (木陰でひと休み)


(下石橋の一里塚?)                      (丸大ハム・慈母観音立像)

 国道352号線高架橋手前に「夕顔橋の石像群」が、地蔵菩薩立像など10体が並べられています。石橋宿の入口にあたると云われる「愛宕神社」、石橋宿の本陣は現存せず、脇本陣・控本陣跡がそれぞれ「現・伊沢写真館、現・伊沢茶舗」となっている。

(夕顔橋の石像群)          (愛宕神社)         (控本陣跡)

 交差点手前には「馬頭観音」が。本日は石橋交差点がゴールです。石橋駅前には「ブレーメンの音楽隊」のグリム時計台が立ち、駅到着です。

(馬頭観音)                 (石橋駅・グリム時計台)

 猛暑の中体調を崩す人もなくホットしております。距離も短く、立ち寄り箇所も少なかったようで、歩数計は15000歩前後でした。お疲れさまでした。
 次回は 9月8日です。
                         37期 ハイキングクラブ部長