ハイキングクラブ
日光街道・徳次郎(とくじら)宿から大沢宿を歩く
(宇都宮駅バス停8番)
12月8日 第16回「徳次郎宿~大沢宿」 8名参加
薄暗い早朝、熊谷駅6時6分の指定電車で大宮駅乗換宇都宮駅8時11分到着です。ここから8時30分のバスで「中徳次郎」バス停に9時11分に到着し、準備を整えスタートです。
日光街道歩きも大詰めを迎え、本日を入れ残り3回となりました。熊谷からもだいぶ遠い所まで来た感じです。所用等で欠席もあり8名での街道歩きとなりました。
今日歩く路は、日光宇都宮道路が近くに・遠くに見える位置を歩きます。最初に、以前は日光街道沿いにあり、あざやいぼが治るという痣地蔵堂へ。 次は、日光二荒山神社からご神体を勧請し祀った歴史ある「智賀津神社」に。境内にある樹齢700年の大けやきは「長寿の夫婦ケヤキ」と云われています。
(痣地蔵堂) (智賀津神社)
(智賀津神社・大けやき) (智賀津神社本堂)
ここから東に下ると二宮尊徳が宇都宮までの灌漑用水路「二宮堰」を完成させたという用水路が見られます。
(二宮用水路) (徳次郎六本杉)
(周りの山並み) (徳次郎宿を歩く)
街道を北へ、徳次郎の六本杉や周囲の山並みを見ながら30里目の「石那田の一里塚」に到着。東の塚には石の標柱が建てられています。「一里塚の十九夜塔」は周辺の整備で日光宇都宮道路の西側に移築されていました。
(石那田の一里塚) (石那田・馬頭観音) (一里塚の十九夜塔)
石那田堰には二宮尊徳の像と記念碑があります。朝が早いので11時10分ですが早めの昼食を。今までで初めてのパスタを美味しくいただきました。
(二宮尊徳像) (昼食風景)
12時、休憩と体力を回復させて午後のスタートです。途中、石仏に出合い。道路東土手の上の祠が「金精様」、1852年建立の道祖神があります。その先には三基の石塔があり中央が青面金剛像庚申塔です。
(路傍の石仏) (街道わきを歩く)
(金精様) (石那田の庚申塔)
しばらく進むと1730年建立の阿弥陀像に自分の悪い処に赤い布をつけると御利益があるという「うらない地蔵」が。前にある三個の丸石の一個を持ち上げて、軽ければ願いが叶うと云われています。又、脇には供養塔があります。
(うらない地蔵) (うらない地蔵供養塔)
(うらない地蔵で占う)
この先には「新渡神社」が、ご神体は石の不動尊で、一里塚が近くにあり旅人か境内で休息したところ。31里目の「上小池の一里塚」は西の塚の痕跡を残している。民家の庭内に首の欠けた地蔵尊と如意輪観音像が。
(たわわにつけた柿) (新渡神社)
(上小池の一里塚) (地蔵尊)
(紅葉の下で)
(日光市に入ります)
この先には日光市標識が。ここから日光ゴール地点まで18Kmの表示にうれしくなりました。桜並木の街道を進むとY字路に、左が国道バイパスで右が日光杉並木街道へ入る道路です。右へ進むとすぐに「杉並木寄進碑」が現れます。
徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた武州川越藩主松平正綱が寛永二年(1625)から約二十年の歳月をかけ、杉並木を植栽し、東照宮に寄進した。この寄進碑は日光神領との境界あたったので境石ともよばれている。
(杉並木寄進碑説明) (大沢杉並木入口で ☝写真クリックで拡大します)
(寄進碑) (次回はここから歩きます)
本日は、帰路のバスの時間14時30分(1時間に1本)に合わせて、近くの大沢並木入口バス停に14時15分到着で終了です。
穏やかな暖かな一日で快適な街道歩きでした。それぞれの歩数計も、19000歩から20000歩でした。次回は、3月22日(17回)・23日(18回)、1泊2日でゴールの予定です。
ハイキングクラブ 部長
(宇都宮駅バス停8番)
薄暗い早朝、熊谷駅6時6分の指定電車で大宮駅乗換宇都宮駅8時11分到着です。ここから8時30分のバスで「中徳次郎」バス停に9時11分に到着し、準備を整えスタートです。
日光街道歩きも大詰めを迎え、本日を入れ残り3回となりました。熊谷からもだいぶ遠い所まで来た感じです。所用等で欠席もあり8名での街道歩きとなりました。
今日歩く路は、日光宇都宮道路が近くに・遠くに見える位置を歩きます。最初に、以前は日光街道沿いにあり、あざやいぼが治るという痣地蔵堂へ。 次は、日光二荒山神社からご神体を勧請し祀った歴史ある「智賀津神社」に。境内にある樹齢700年の大けやきは「長寿の夫婦ケヤキ」と云われています。
(痣地蔵堂) (智賀津神社)
(智賀津神社・大けやき) (智賀津神社本堂)
ここから東に下ると二宮尊徳が宇都宮までの灌漑用水路「二宮堰」を完成させたという用水路が見られます。
(二宮用水路) (徳次郎六本杉)
(周りの山並み) (徳次郎宿を歩く)
街道を北へ、徳次郎の六本杉や周囲の山並みを見ながら30里目の「石那田の一里塚」に到着。東の塚には石の標柱が建てられています。「一里塚の十九夜塔」は周辺の整備で日光宇都宮道路の西側に移築されていました。
(石那田の一里塚) (石那田・馬頭観音) (一里塚の十九夜塔)
石那田堰には二宮尊徳の像と記念碑があります。朝が早いので11時10分ですが早めの昼食を。今までで初めてのパスタを美味しくいただきました。
(二宮尊徳像) (昼食風景)
12時、休憩と体力を回復させて午後のスタートです。途中、石仏に出合い。道路東土手の上の祠が「金精様」、1852年建立の道祖神があります。その先には三基の石塔があり中央が青面金剛像庚申塔です。
(路傍の石仏) (街道わきを歩く)
(金精様) (石那田の庚申塔)
しばらく進むと1730年建立の阿弥陀像に自分の悪い処に赤い布をつけると御利益があるという「うらない地蔵」が。前にある三個の丸石の一個を持ち上げて、軽ければ願いが叶うと云われています。又、脇には供養塔があります。
(うらない地蔵) (うらない地蔵供養塔)
(うらない地蔵で占う)
この先には「新渡神社」が、ご神体は石の不動尊で、一里塚が近くにあり旅人か境内で休息したところ。31里目の「上小池の一里塚」は西の塚の痕跡を残している。民家の庭内に首の欠けた地蔵尊と如意輪観音像が。
(たわわにつけた柿) (新渡神社)
(上小池の一里塚) (地蔵尊)
(紅葉の下で)
(日光市に入ります)
徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた武州川越藩主松平正綱が寛永二年(1625)から約二十年の歳月をかけ、杉並木を植栽し、東照宮に寄進した。この寄進碑は日光神領との境界あたったので境石ともよばれている。
(杉並木寄進碑説明) (大沢杉並木入口で ☝写真クリックで拡大します)
(寄進碑) (次回はここから歩きます)
本日は、帰路のバスの時間14時30分(1時間に1本)に合わせて、近くの大沢並木入口バス停に14時15分到着で終了です。
穏やかな暖かな一日で快適な街道歩きでした。それぞれの歩数計も、19000歩から20000歩でした。次回は、3月22日(17回)・23日(18回)、1泊2日でゴールの予定です。
ハイキングクラブ 部長