現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています



(宇都宮・二荒山神社前で)

ハイキングクラブ


日光街道・雀宮宿から宇都宮宿を歩く

 10月6日 第14回「雀宮宿~宇都宮宿」 8名参加
   10月の日光街道歩きは、雀宮宿・駅前交差点から宇都宮宿奥州・日光街道追分までを8名で歩きました。この日は小雨から曇りの予報でしたが雀宮駅に降り立つと雨模様。前回見学の雀宮神社・旧道の痕跡を確認して最初の立ち寄り箇所「寿鶴薬師堂」に向け雨の中元気に歩きだしました。


(雀宮駅前で)                (雨の中を歩く)

 スタートから35分で薬師堂に到着。朱塗りの珍しいお堂には地蔵尊・如意輪観音像が、すぐ先には学問の神様「菅原道真」を祀る菅原神社と続きます。


(寿鶴薬師堂)                (菅原神社)

 江曽島一里塚は日本橋から二十六番目の一里塚も東北線敷地で取り壊され痕跡はありません。街道わきに大エノキが、根元には鳥居と石祠があります。


(大エノキ)         (大エノキ・鳥居と石祠)

 JR日光線を越え、その先三差路が奥州街道追分で「右奥州街道及び日光街道」の道標と不動堂があります。


(日光まで31Km標識)            (まだ雨が続く)


(不動堂の説明)      (不動堂)            (右奥州街道及び日光街道の道標)

 時刻も11時30分を過ぎこの近くのレストランで昼食としました。初めての洋食をゆっくりと味わい、雨も上がり雨具を整理し午後の出発です。


(COCOS前で)          (昼食風景)

 東武宇都宮線のガードをくぐった辺りが宇都宮宿南の入口です。すぐそばに「蒲生君平勅旌碑」(ちょくせいひ)が、仙台藩・林子平、上野国・高山彦九郎と共に「寛政の三奇人」と言われた儒学者です。


(蒲生君平勅旌碑説明)            (蒲生君平勅旌碑前で)

 宇都宮宿は城下町で二荒山神社の門前町として栄え、栃木・鹿沼・茂原・水戸・真岡の各街道の始点でもあり日光街道最大の17番目の宿場として賑わいました。又、城下を護るように、多くの寺院があります。 戊辰戦役で戦死した宇都宮藩士の墓がある「台陽寺」、「子安地蔵尊」「熱木山不動尊」、異変が起きる前に汗をかくと伝えられている「汗かき阿弥陀」がある「一向寺」、「報恩寺」には、1639年創建時の茅葺の山門と鎌倉時代かそれ以前の大五輪塔があります。


(台陽寺)                  (子安地蔵尊)


(熱木山不動寺)               (一向寺「汗かき阿弥陀」) 


(報恩寺入口)        (報恩寺・茅葺の山門)    (報恩寺・大五輪塔)

 戊辰戦役で新政府軍と旧幕府軍が激戦を繰り広げたところ「六道の辻」には長岡藩士などの戊辰戦役戦死の墓と「六道焔魔堂」・石塔があります。

(六道の辻「戊辰の墓」)           (六道焔魔堂入口)


(石塔前で)

 そばの「光琳寺」には「戊辰の役官軍因州藩士の墓」と「戊辰の役幕府軍桑名藩士の墓」が向かい合って建っています。


(光林寺「戊辰の役官軍の墓」)            (光林寺「戊辰の役幕府軍の墓」)

 街道の反対側に城下町特有の桝形「鍵の手」の町づくりを見るがよくわかりません。ここから奥州街道の追分はすぐ、周辺には高札場跡・本陣・問屋場・貫目改所跡等あったが案内は見当たりません。 上野本陣跡に残されている大イチョウの木は家に囲まれて立っていました。追分から宇都宮駅まで歩きました。途中、二荒山神社に参拝、神社周辺の賑わいは門前町を感じさせられます。


(本陣跡に残る大イチョウ) (二荒山神社鳥居)


(二荒山神社本殿前)

 宇都宮駅には、15時45分到着です。宇都宮宿に入ってからは、立派な寺院も多く、戊辰戦役関連遺構と共に歴史も感じられる宿場でした。


(JR宇都宮駅ゴール)

 午後から天候も回復し、約11Km余を歩いた関係で、歩数計は23000~24000歩を記録していました。大変お疲れさま。  次回15回は 11月10日です。

                             37期 ハイキングクラブ部長