現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は36名の会員が活動しています。



(殿ケ谷戸庭園内にて)

クラブ活動 ”ハイキングクラブ”

「7月 国分寺・お鷹の道&武蔵国分寺跡」

 7月17日(水)、国分寺駅・殿ヶ谷戸公園からお鷹の道を歩き、武蔵国分寺跡・武蔵国分寺尼寺跡と伝鎌倉街道から西国分寺駅まで約5.0Kmを歩くハイキングを7名で行ってきました。
 梅雨明け間じかの不安定な天気予報でしたが各自最寄りの駅から指定列車に乗車、国分寺駅に10:57分の予定時刻に到着しました。最初に駅近くの都立殿ヶ谷戸庭園見学です。1913年頃造られた庭園はその後1929年岩崎彦弥太に買い取られました。立川市砂川から大田区田園調布まで全長約30Kmに及ぶ「国分寺崖線(がいせん)」と呼ばれる崖の上に造られた庭園で、眺めの良い高台と崖下には湧き水が浸みだし豊かな自然を見ることができました。


(都立殿ヶ谷戸庭園入口)


(庭園入場時のパフォーマンス)


(園内から本館(現管理棟所))         (園内底部の竹の小径)


(レンゲショウマ発見)      (紅葉亭で一休み)


(紅葉亭から眼下に次郎弁天池を)       (庭園内で)

 昼食は国分寺駅周辺を予定も、途中で見つけた食堂でのボリュ-ム満点の食事を満喫し、食事タイム(45分間)でした。
 12時30分スタートでお鷹の道を目指します。食事処から野川まで崖線(道路)を下りますと武蔵国分寺跡への分岐標識に従い野川と元町用水の合流地点を渡ります。


(昼食処)                  (野川手前に分岐の案内標識)

 その後住宅街を歩き「お鷹のみち」入口へ。江戸時代に尾張徳川家の鷹狩り場だったことに由来して名付けられた散策道です。湧水群からの清流は小魚やホタルなどが生息しており、散策と共に楽しめます。


(野川に合流手前の元町用水)               (ほたるのすむ川の標識)


(案内標識)                 (住宅地を歩く)


(お鷹の道への分岐)


(お鷹の道説明板)              (元町用水の清流を眺め)

 平安時代、絶世の美女・玉造小町伝説が残る真姿の池湧水群では、湧水が飲めるとの説明箇所が確認できず残念でした。


(真姿の池湧水群へ)             (真姿の池到着)


(湧水群の上には市立歴史公園が)       (お鷹の道表示版)

 その先には、代々国分寺村の名主であった本多家住宅の屋敷入口には長屋門が。敷地内には隠居所が。現在は「見る・学ぶ・訪ねる」をコンセプトの資料館として展示資料や出土品の展示を見ることができました。


(国分寺村名主本多家長屋門)         (武蔵国分寺資料館前で)


(当時の復元模型)              (武蔵国分寺の出土瓦の展示)

 邸内を見学後「国分寺」へ。三代将軍家光から徳川幕府に保護され代々朱印状を残しています。また境内には国分寺が栄えた時代に編纂された「万葉集」に歌われた植物を例歌と共に万葉植物園として展示されています。門前の国分寺楼門は現・久留米市内の米津寺から移築されたものです。


(国分寺)                  (国分寺境内の万葉植物園)


(国分寺楼門)

 武蔵国分寺跡・武蔵国分寺尼寺跡は奈良時代に全国で造られた国分寺の中で最大規模と推定され「東山道武蔵路」(武蔵野線沿い)の東側に僧寺、西側に尼寺が配置されています。途中、文化財資料展示室に立ち寄り、展示資料と国分寺尼寺跡調査のビデオ鑑賞をしました。


(武蔵国分寺跡碑で)


(武蔵国分寺の現在)


(武蔵国分寺尼寺跡碑)      (武蔵国分寺尼寺後の現在)

 鎌倉時代の古道が今も残る場所として武蔵国分寺尼寺跡北に国分寺崖線を切り通した120mほどが鎌倉街道として当時の雰囲気を感じさせてくれます。


(伝鎌倉街道の銘板)       (切通しが120m程残る鎌倉街道)

 午後のスタートから2時間30分ほど、蒸し暑い天候の中でしたが、雨に降られず西国分寺駅到着でした。(到着後、雨がポツポツきましたが・・・)


(帰路の西国分寺駅)

 湧水沿いの散策と歴史遺跡巡りで歴史の一部を感じられたコース内容でした。歩数計は約11,000歩・3時間ほどのハイキングでした。 お疲れ様でした!!
                                   37期ハイキングクラブ

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