熊連協の44年にも亘る歴史の中で、先輩たちが育んだ奉仕の心が脈々と受け継がれ、今日に至っています。


39期追悼文 「7班 田村光子さんを偲んで」

「田村光子さんへのお礼とお別れの一言を述べさせて頂きます」 

 稲穂が頭を垂れ、桜の葉も色づき落ちて、秋色が強まる日々となりましたが、そんな中で、悲報を 耳にしてしまいました。私にとっても、まだ現実に思えない訃報でしたから、同じ7班の仲間達は、どんなにか淋しく悲しい想いでここ数日を過ごしているのだろうと推察するばかりです。
 田村光子さんとは、いきがい大学の39期同期生としてご一緒し、最初の年には大変お世話になりま した。田村さんの7班と私の5班が学園祭の担当となり、私達が慣れない計画立案に悩んでいた中で、田村さんはそれまでの幅揃い活動で培った経験から積極的な提案やアイデアを出して頂き、当日の 司会役にも自ら手を挙げて頂きました。


(芸能祭での司会)

 プログラム作りの予算で悩んでいた時も、手元にあったからと色上質紙をどんと寄付して下さり、 お陰様で手作りながら素敵なプログラムが出来上がったことが、田村さんの流暢な司会者振りと共に 懐かしい思い出となっております。
 仲の良い7班の皆さんと共に、班旅行や懇親会にいつもリーダー役として張り 切って姿は、近くに いても眩しい存在でした。


(7班 蕎麦打ち写真)


(自主学習風景)

 39期での名司会振りが認められ、熊谷学園全体で開催される芸能祭でも複数年に渡って司会を務めて頂き、行事のスムーズな進行にはなくてはならない方でもありました。  一方で、手作り作品の展示会である文化祭行事でも、お孫さんの為に心を込め手作りした甚平さんや ちゃんちゃんこが可愛く飾られて、田村さんの多才ぶりが大いに発揮されていました。

(田村さん文化祭出品作品)


(田村さん文化祭出品作品2)

 そんな思い出の数々が思い出され、つい勝手にいきがい大学の活動のアルバムから元気に活躍されて いた姿を並べてみました。田村さんに頂いた紙で作った思い出のプログラムと共に。
 謹んで田村さんのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。有難うございました。  合掌

         令和三年九月十四日    いきがい大学でご一緒した   櫻井省三 拝

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