現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は91名の会員が活動しています


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史跡めぐり

1300年の歴史を紡ぐ織都桐生を尋ねて

史跡クラブも今年で(現役含め)もう6年目。色々な処へ30回以上行っただろうか?校友会の類似のクラブをみても、お互い歳も取り、疲れやすく、行くところもネタもなくなり、マンネリ化もしてくる。どこのクラブも当然年々参加人数も減ってくるが(最近は平均10~15人ぐらい?)、今回はこの2,3年の中では一番多い21名の方が参加、グル-プ担当としては嬉しい限りと身の引き締まる思いでした。(ちょっと大げさ?)
朝から気温が鰻のぼりに上がる中、熊谷・籠原3拠点6台の車に分乗、時間指定の現地集合。皆さん、早めに出発したようで、9:40に対し、1番車9:15分着、約15分の間に後続車全て到着。着いた途端にレトロの雰囲気の建物の世界に囲まれた。それにしても今日は暑い、下からの熱気に煽られ、今日は暑いなあ、まいったなあと誰彼ともなくつぶやく声が聞こえました。
いよいよ集合場所有隣館からスタ-ト、説明してくれる館長の井上さんが、この4月に赴任したばかり、でも汗をかきながらも一生懸命説明してくれました。
 
(矢野商店創業から有隣館の誕生まで)

今から約300年前、1717年近江(滋賀県)出身矢野久佐衛門が桐生に来住、雑貨商を営む、清酒醸造・味噌醤油醸造と業務拡大、矢野商店の商号で、現在に至る。1994年(平成6年)矢野商店が重要文化財である各種蔵群(約1,100坪)を桐生市に寄贈、桐生市有隣館と命名し、市が管理運営。蔵群は8つあるが、そのうち味噌蔵は江戸時代(天保年間)建造のもの。
建物の中にはレンガ造りがあり、暑い外から中に入ると涼しく気持よかった。キルト(?)の展示会をやっていました。市は蔵群の保存と活用をコンセプトに広く市民の創作活動・展示発表等文化活動の拠点となるよう努めているそうです。
 

今回の企画の目玉であり、恐らく殆どの人が見たことがなく、見れば必ず喜んでくれると思い、又、何としても見せてあげたいと池田リ-ダ-に説明し、調べたら定期上演は毎月第1、第3土曜日と判り、我々は第2土曜日(7/8)で一旦は諦めたが、駄目元で当ってみようと桐生市役所のしかるべき処に電話攻勢、感触ありと判断、あとはリ-ダ-の手腕でなんとか実現可能になりました。
有隣館の敷地内に芝居館があり、館の前に行くと保存会の人がニコニコと迎えてくれ、早速来館記念に集合写真を撮って戴きながらの歓迎セレモニ-でした。
中に入るとこれまたレトロの世界、2つの芝居舞台の幕を見た瞬間、小さい時、お祭りで見た田舎芝居の幕を想い出しました。子供の時のドキドキが蘇ってきました。 最初に保存会会長さんからの挨拶及びからくり人形芝居の事前説明いよいよ芝居観賞、演目は「蘇我兄弟夜討」、「助六由縁江戸桜」の二つ、観る時は椅子はなく立ち見である。これも新鮮で昔に帰ったよう。物珍しさと子供心に戻って、眼を輝かせ、芝居の雰囲気に段々浸っていくのが伝わってくる。
説明員からの説明では昔は娯楽も少ない時代、桐生は織物の町、町内に用水路が走り、多くの撚糸用水車があったが、電気でなくこの水車の回転・力を利用し人形の手・足・首等の動作させるからくり人形芝居を編み出した。人形も単純な動きだけでなく、微妙な動きもする。
作ったのは織物工場の職人さん達だそうです。先人の知恵と工夫には只、脱帽です。我々の反応の声が嬉しかったのか、サ-ビスで「羽衣」も上演してくれ、又感動。昭和三十六年を最後に上演されなくなり、以後27年経ち、市内の蔵の茶箱に眠っていた人形が発見されたのをきっかけに桐生からくり保存会が出来、その保存と復元に取り組んできたとのこと。いつまでもこの歴史・文化を絶やさず、続けていってほしい。
芝居館を出る時、夫々、お礼を言い、お別れし、一路昼食をするお店に向かいました。



 (撮影不可の為、保存会パンフより転載。)

 

 

お店は芝居館から約200m,歩いて移動。お店の近くに東京のバスガ-ルの唄でヒットした初代コロンビアロ-ズさんの生家がある。お店に着いたら外で待ってる他のお客様で満杯。さすがうちの役員、早めに店に行き、タッチの差で一番で21人予約。
11時30分開店即入店出来た。メニュ-は迅速を考え全員同じメニュ-桐生名物ソ-スかつ丼+うどんとしました。
 

食後ゆっくりしたかったが、あとの待っているお客さんに申し訳ないので早めに次の桐生天満宮へ。歩いて10分位で着いた。灼熱の太陽を浴びながら、みどり豊かな木立の中に入ると、ほっとし、人も見当たらず、静寂の世界に浸っていった。
桐生天満宮の御祭神・菅原道真公は平安時代の優れた学者・文化人・政治家で一般に「天神さま」と称され、広く崇拝されてきました。天神さまは関東五大天神の一つとのこと。
第12代の景行天皇の時代に上毛野(群馬)の国造が天穂日命を奉斎した磯部明神であり、1350年頃京都より北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称。1581年徳川家康が東征の折、徳川家代々の祈願所として朱印地を賜り、1600年関ヶ原合戦には軍旗に用いる放絹を当宮の御神前に供えてその勝利凱旋を吉例として境内には織物市が開放され、後の「桐生織物」繁栄の礎となりました。桐生の町はこの天神さまを起点に発展していったとのこと。
お参りをして、たまたま一人通りすがりの女性に少し無理矢理にシャッターを押して戴き、みんなで集合写真、その後、群馬県指定重要文化財の社殿を見学、外の彫刻は長年放置されているのか薄汚れているが、その彫り物は見事で一説には日光東照宮を手掛けた職人が携わったということも聞いたことがある。
彫刻は妻沼聖天宮に似ており、妻沼は何年か前、修復に15,6億円かけたそうですが、史跡クラブがみんなに声掛けをし、彫刻の掃除の来ようとか、誰か10億ぐらい寄付出来ないかとか無責任なことを言い、この会話は直ぐ終わった。


 

桐生天満宮から車で約10分し、「職都」の別称を持つ桐生の隆昌をいまに伝える象徴的な建物「桐生織物記念館」に到着。1934年(昭和9年)に桐生織物協同組合の事務所として建てられ、レトロな佇まいは高く評価され、映画やドラマのロケにも頻繁に活用されている。
714年(和銅7年)、あしぎぬ(古代の絹織物)を朝廷に献上した記録が残っており、織物産地として古い歴史を有し、1333年(元弘3年)新田義貞の鎌倉討伐の軍旗、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの戦いで徳川方の旗絹はいずれも桐生で織ったもの。歴史と伝統を大切にしながら、時代に応じて変化してきたのが桐生産地の特徴で、和装は昔ながらの技法で、一方市場にない新しいものづくりに積極的に取り組み、洋装は最新技術を駆使、髙い品質とファッション性を武器に欧米のトップブランドにも生地を供給している。
隆盛期は1,000軒以上あった織物工場も今は120軒とのことですが、120軒も残っているのかなあ?2階の展示室で昔の織機があり、何人かの人が教わりながら、びくびくしながら、楽しそうに織機をおりました。いい記念になりますね。
 

織機の説明で柄を織る時に機械の動きを指示するプログラムの役割を果たす「紋紙」に穴を開ける為の紋彫機(通称ピアノマシン)等には皆驚きと興味を持ち、昔の人の知恵と努力にすごいなと感じていました。
1階は織物販売場では女性が興味ある帯・着物そして一生着けないであろう32,000円のネクタイもありました。品物は普通のデパ-トよりちょっと良く幾分髙いなあぐらいは素人の私でもわかる。しばらく和洋のファッションを味わい、最後のベ-カリーカフェレンガへ向かいました。
予定より、4,50分早く到着。大正時代に建てられ、国の登録有形文化財のイギリス積みのレンガ造りの、のこぎり屋根工場の建物を利用し、焼き立ての香ばしいパンの香りが匂う喫茶に生まれ変わったそうです。
暑い中を歩いたせいか、少々疲れ、のども乾き、やっとゆっくりくつろげると思っていたら、みんな、パンなどの購入に邁進。それでもわいわいガヤガヤ楽しそうにくつろいでいました。無料でパンの耳を揚げた品物が人気あり、食べると同時にさすが女性です、袋に入れ我が家のお土産にする人もいます。
 

店長が気を利かして、桐生の山奥から取れた水がポットにあり、紹介してくれた。確かに美味い。約1時間ぐらい居ただろうか?名残尽きない果てしないですが、駐車場で池田リ-ダ-の“ここで自由解散”でお開きとなりました。
あっという間の5時間でした。大分前から、準備・下見等担当戴きました桐生グル-プの幹事の皆さん本当にご苦労さまでした。
(さいごに)
6年前に史跡クラブで出会った皆さんが私が産湯につかり、幼少のみぎりに約1キロ四方で生活し、遊んだその場所に来るとはよもや思わなかった。
生誕地を離れて53年、私の人生では遠い過去・世界だった我がル-ツがまさに目の前にある。60年以上前、小学校の行き帰り歩いた本町通り、帰りによく道草をした「桐生天満宮」。時代の流れで若干景色も変わったが、60年以上前と一つも変わってない塀・建物・蔵がそのまま。それをみなさんと一緒に歩いている不思議さ・今年始め一時は真っ暗な人生になり、もうだめかと諦めかけたが、お陰で乗り越え、みなさんと共に歩ける平凡な幸せを噛みしめることが出来ました。
このような機会を作って戴いた皆様に本当に感謝申し上げます。
                           記:佐藤健一

   37期史跡クラブ桐生グル-プ  幹事:大澤(勝)、原田、高橋、佐藤(健)、池田