現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は96人の会員が所属し活動しています。


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史跡クラブ

平成28年6月5日(日)今年度3回目の活動として小田原城周辺散策を計画し、小田原城、清閑亭、松永記念館・老欅荘、古希庵、小田原用水取入口・流路等を見学した。
今回は会員が他の行事と重なり参加者は10名と少し寂しかったが、小雨模様のなか予定通り実施した。10km以上歩いたのですが皆さん健脚でした・・・ご立派。
 
 (ガイドさんと待ち合わせ)             (小田原用水取口まで)


(取水口)

午前中は箱根板橋地区で著名人の別邸や庭園を巡り、小田原駅前に戻り昼食を摂った後小田原城へ向かった。






昼食は地元の人ご推薦の店で海鮮丼を食べたが、新鮮な大ぶりのネタが沢山盛られていて美味しく、皆さん大満足でした。
 
 (老欅荘内に)                   (老欅荘)

老欅荘は、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門が終戦後昭和21年に小田原に移り住むために建てたもので、その名は登り口にそびえる大きな欅の老木に由来する。
松永は茶道にも造詣が深く「耳庵」と号した。耳庵は晩年をここで過ごし多くの茶会を催し多くの有名な茶人、政治家、学者、建築家、画家などを招いた。
近代数寄屋建築だが慣れない我々には迷路のような感じもした。

 (松永安左エ門”耳庵”年表)

 
 (小田原駅東口)                  (昼食メニュー)

古希庵は、明治40年山縣有朋が古希を迎えて造営した別荘と庭園。このため「古希庵」と名付け終の住処とした。
庭園は上下の空間と多種の樹木・植物、水を巧みに活かした自然主義的和風庭園。
今は保険会社の所有となり昔の邸宅は無く(箱根湯本に移築されたとの話もある)風情の無い無粋なビルが建っているが、庭園はそのまま残されていて、ただただ「すごい造り」の一言。

 (小田原城)

 
 小田原城)                     (小田原城)


 (雄叫び)

 
 (でかいの一言)                  (順番待ち)

小田原城は、15世紀中頃大森氏が築いた城を前身とし、北条早雲に始まる小田原北条氏(後北条氏)五代の本拠であり関東支配の拠点となった。
クラブで昨年訪れた寄居の鉢形城も北条氏が息子を婿入りさせた程の強力な最先端の支城である。
豊臣秀吉との決戦に備え総構を構築し、それまでに例を見ない戦国最大級の城郭となった。
小田原用水は「ブラタモリ」の放映画面を思い出しながら見学。「ブラタモリ」による「江戸の原点は小田原にあり」は、この総構と用水のことが主であるらしい。
今回は平成の改修後5月に再公開となった城を正規の登城ルートで訪ねた。
流石に天守頂上からの眺望は素晴らしいが、記念館的なコンクリート作りで外観は真っ白、中はピカピカになりあまりにも綺麗になりすぎてがっかりしたと言うのが正直なところだった。やはり城郭は築城時の様な木造のものが遥かに良いと改めて感じた。
 
 (清閑亭でコーヒー)                 (清閑亭にて)

 
 (清閑亭にて)                    (清閑亭にて

清閑亭は、小田原城旧三の丸跡の一角にある数寄屋造りの建物で軍師黒田官兵衛の直系家の別荘である。相模灘を一望できる庭園は工夫が施されており、ゆっくりのんびり過ごす場所としては最適な場所である。
本日の最終訪問地である清閑亭で、吹き抜ける心地良い風を感じ景色を愛でながら飲んだコーヒーは格別に美味しかった。
 
 (二宮金次郎像)                   (二宮尊徳像)

依頼したガイドさんの熱心な案内で時間が足りなくなり、予定の場所が見学できるのかハラハラの一日であった。しかし見学した邸宅はどこも木々が多くあり新緑が美しく目に生え、庭園も上記の様に趣のある場所であった。
ちょっと遠かったが来た甲斐が有った。隠居後はこんな所で悠々自適に過ごしてみたいものだ、という気分にもなりました。
                            文責   25小田原 理
旅に出たらお土産を。小田原と言えば干物や練り物。魚やかまぼこ等を家で待つ家族の顔を思い浮かべながら買い求めた。現地解散し、帰りの電車はグリーン車に乗り、ゆっくりのんびりおしゃべりをしながらあっと言う間の3時間が過ぎた(女性陣約5名)。
悩みや思いはたくさんあるけれど今日この一日を大切に生きていきたいと思う。女性陣の今の思いです。さてさて男性陣はどんなおしゃべりをしながら帰路についたのやら・・・
                            記    26 岡田 伸江

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