現在、彩の国いきがい大学熊谷学園37期校友会は104名の会員が活動しています


史跡めぐり

甲斐の国 武田信玄公の史跡訪問


7月24日(金)総勢21名にて、梅雨明けの絶好の天候の中、一路、甲州に向かいました。
当初計画では25名の参加を見込みましたが、皆さん色々とご多忙のことで、予定人数に至らず"友達の輪"のお世話になり、バスを小型に変更しての実施となりました。
東松山ICから高速に乗り、途中の初狩PAで休憩して、



富士山を拝み・・



生憎、頂の半分は雲に隠れていましたが御姿を拝むことが出来ました。美しい女性陣の後ろに、恥ずかしそうな富士山が背景に写っています。
高速を一宮御坂ICで降り、先ずは武田神社です。走行が順調だったことで、到着は予定時刻より約30分早くなりました。事前にお願いしています観光ボラに電話連絡をしたら、丁度バスに乗る所とのこと、そうです初狩PAに休憩を追加した時に、予定時間を連絡しませんでした、こちらが悪いのです。少しの待ち時間で鳥居の前にて集合写真の撮影です。



後で確認したら2名が入っていませんでした。ごめんなさい。
甲府市観光ボランティアの大西さんのご案内で、武田神社を巡ります。武田神社は「武田氏館跡」で「躑躅ケ崎館跡」で武田氏の城跡です。



甲府の名前は"甲斐の府中"と云う意味等、日陰でガイドの大西さんの説明に聞き入ります。
まずはお詣りしましょう。

 

神社の左手から奥に入り、躑躅ケ崎館跡を巡ります。塁や濠がしっかりと残っています。帰りに金運のご利益と言われる、境内の「三葉の松」黄金色の落葉を拾いました。



次は甲斐善光寺です。日陰で大西ガイドの説明を受けます。



開基武田信玄公が川中島合戦の折り、信濃善光寺の焼失を恐れ、1558年に諸仏寺宝類を奉遷したことに始まったとのこと。

 

1754年に失火により七堂伽藍が灰燼帰し、1796年の徳川時代に再建されたとのこと。金堂の紋章は武田菱があります。目立たない正面瓦下の武田菱の上に、しっかり徳川葵紋が有ります。ガイドの大西さんとはここでお別れです、お世話様でした。
次は食事場所の山梨県地場産業センター「かいてらす」です。





2階での食事の後、土産の購入です。
午後は先ず、信玄餅で有名な"桔梗屋"の工場見学です。

 

人の手によって一個ずつ包装されていました。帰りに特価販売などで土産を購入です。戴き物の冷えたプリンが美味しかったです。
甲州市に移動し、恵林寺です。



甲州市観光ボランティアの久保田さんと時刻通り落合い、四脚門から入ります。

 

この四脚門で最初の説明を受けます。境内に入り、松の枝ぶりの良さに、ついシャッターを切りました。



境内を進むと"・・・心頭滅却すれば火自ら涼し"の「三門(三解脱門)」です。
本堂と宝物館の共通券で中に入ります。団体で"うぐいす廊下"を通ります。きゅっきゅと煩いくらいです。



信玄公が生前に対面で摸刻させたという、等身大の不動明王を拝観し、

 

夢想国師の築庭した庭を見学、説明を座って受ける方々、暑さでの疲れが出ています。ガイドの久保田さん暑い中、お世話になりました。
最後に、"ハーブ庭園"を計画していましたが、皆さん疲れ気味で、廻らず、帰路に着きました。
帰りの高速道は工事渋滞で混雑し、計画より遅くなりましたが、無事に熊谷に到着し、数名で反省会に廻り、軽く、反省の種を残さずに帰宅しました。
絶好の天候だったんですが、暑すぎたので、少し曇って頂けたら・・と思いました。疲れました。

                            記 池田   

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