現在、彩の国いきがい大学熊谷学園2年生4期ふるさと大発見クラブは22名で活動しています。


ふるさと大発見クラブ

【日本初の旧石器時代遺跡 岩宿遺跡 を訪ねる】

第2回の活動として平成27年5月10日(日)に「岩宿遺跡と相沢忠洋記念館」を訪れました。


好天の中、19名のクラブ員が、妻沼行政センターを10時に出発し、群馬県笠懸へと向かいました。
1時間足らずで岩宿博物館に到着。


博物館の周辺は"岩宿の里"として整備され、春は鹿の川沼の周りの桜や稲荷山にはカタクリの群生地があり、賑わうそうです。又、かたくりの湯(肩こりが治りそう)やちびっこ広場等の施設が揃い、当日も子ども連れの方が見られました。ちなみに、ふる伝KS氏の奥様の実家がお近くにあるそうです。
"日本の始まりは、土器を持った人たちが大陸から渡って来た縄文時代で、旧石器時代はなく、ローム層まで掘ればその下にはヒトの住んだ痕跡はない。"と云われていた昭和20年代中頃、地元の考古学愛好家、相沢忠洋氏が定説を覆す旧石器をローム層(赤土)の中から発見しました。これが発端となり、日本各地で赤土の中から多くの旧石器が発掘され、日本の始まりの歴史が、1万年以上遡ることになりました。
日本の旧石器文化研究のパイオニア相沢忠洋氏の写真です。
相沢氏と明治大学々生の発掘の姿。昭和24年明治大学の研究班と共に国宝級の槍先型石器(黒曜石)を発見し、日本の旧石器時代の存在が証明されました。
博物館の中で旧石器のガイドを受けました。








見学時間の終了時間をお願いしたせいか、若く元気な早口について行くのが大変でした。


地層の年代で「A・T」と云う「姶良Tn火山灰」等、火山灰の堆積層が重要な判定に用いられているとのこと。九州鹿児島の姶良火山の噴火で関東まで火山灰が届いたことに、噴火規模の大きさが理解でき、鹿児島湾が出来たとの、昔聞いた話を思い出しました。
約一万年前はこんな姿だったのかしら?


博物館の外へ出て、発掘場所を案内してもらいました。


発掘した地層を保存してあるドーム入り口。


集合写真の撮影はガイドさんにお願いしました。旨く撮って頂きました。ドーム・ドーム有難うございました。


場所をお借りした"ふれあい学習館"にて妻沼で調達した"聖天寿司"の昼食後、博物館を後にして約7km山道を走り、岩宿博物館と比べ物にならないくらい質素な佇まいの相沢記念館に着きました。


内部は撮影禁止。国宝に匹敵すると云われている黒曜石の槍先型石器。相沢忠洋氏の奥さんから館内の説明を受けました。先に訪れた岩宿博物館には、この槍先型石器が置かれていません。
      

氏が納豆の行商の傍ら発見した石器を、自転車に乗り、日帰りで約120km離れた東京・大森の芹沢長介氏のもとへ見せに行ったと云われています。その時使ったのと同じ型の自転車が記念館に展示されていました。氏の情熱に頭が下がります。
地元では旧石器時代とは言わず「岩宿時代」と表現しています。氏は平成元年5月62歳で亡くなりました。
奥様(現館長)はご健在で、槍先型石器をこの館に守り抜いたエピソード等をお聞かせ下さいました。
にわか考古学者になり、ほのぼのとした気持ちで4時30分に帰着しました。

                                H27.6.9尾畑・池田(記)

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