航空自衛隊熊谷基地見学会は東日本大災害が起きた年度は中止されましたが、それ以外の年度は実施しています。


社会参加活動

航空自衛隊熊谷基地見学報告

いきがい大学熊谷学園校友会として、2年制第2期と1年制第37期校友会が、共同で企画部を中心に5月から航空自衛隊熊谷基地と交渉を重ね、施設見学の計画を練り上げました。

参加人員が多かった為、2年制2期が2グループ、1年制37期が2グループの合計4グループでの計画となりました。

我が37期校友会は、平成25年10月22日(火)及び11月12(火)で基地施設の見学会を実施しました。参加人員は10月22日が51名・11月12日が33の合計84名となりました。 スーパーマーケット「ベルクさん」のご厚意で駐車場エリアに集合、人員確認を行った後、いざ自衛隊基地正門に移動しました。

入門後、自衛隊広報の案内者に挨拶、二列縦隊で進行・・・と行きたい所ですが、実態は写真を撮ったり話合ったりで・・最初の建屋に到着、先頭が右に曲がり、皆でついて行ったらトイレ・・ナンテこともありながらブリーフィングルームへ。 広報室長から自衛隊熊谷基地の沿革の説明を受けました。



昭和10年の熊谷陸軍学校創設、戦後米軍の進駐、基地の名前が将軍の名前から取った"CAMP WHITTINGTON"だったこと初めて知りました。熊谷の地名になっている"御稜威ケ原(ミイズガハラ)"が昭和13年の昭和天皇の行幸から始まったことを初めて知りました(40数年間も熊谷にいて恥ずかしい~)。"生徒隊"が平成23年に56年の歴史に幕を閉じたとのことも知りませんでした。

説明の後、旧軍時代の展示見学室へ移動、未だ十分に着れそうな保管状態の良い軍服等を見学。"生徒隊"の記念施設では、3期生に著名な方2名(名前忘れ)、9期生に有名な漫画家の本宮ひろ志氏も在籍されたことを知り驚きました。壁には各期ごとの氏名が刻印された金属製の額(プレート)が有り「亡くなってもここに名前が残るんだ」ナーとの寂しい(羨ましい?)感想も聞かれました。
サー、次は382円の基地内での昼食です。
また、二列縦隊で行進し、春なら桜が綺麗だろうなと想像しながら食堂へ向かいました。
建屋の二階にある食堂は広く、この日は、在籍人数が少なかったが、新入隊員の教育時期には相当な人数になるだろうナーと想像しました。
執筆者の献立は「トマトなんとかのハヤシライス」サラダ・デザート付き、美味しかったデ~ス。(ナイショで最初に並んだ人たちは朝の残りの牛乳が付いてました。シュミマシェン)テーブルにある献立表を見ると、朝・昼・晩の三食の記載があることから24時間体制なんだ・・と納得しました。

食事の後、二列縦隊で歩き、旧陸軍飛行学校戦没者の霊を慰める"荒鷲之碑"、次に昭和13年昭和天皇の行幸の御野立所となった地点に建立された"御稜威ケ原の碑"を見学、ここで案内をされた隊員の「三(さん)引く一(いち)は ニー」で記念撮影、最後の厚生センターの売店に向かいました。センター内では自由時間との案内でお土産探しです。喫煙者は裏の喫煙場所へ直行。隊員用の売店では、作りのしっかりした(丈夫そう)迷彩服やズボンバンド、小さなバッグに注目が集まっていたようです。








帽子の購入は、隊員以外には出来ないとの注意書きがあり「俺たちが被っても老け過ぎじゃ間違えられないのに・・・」などの会話。最後は正門に移動し、整列して御礼の挨拶をしました。
大変お世話になりました。 以前に"さくら祭"で、小さい子どもと一緒に自衛隊熊谷基地に入ったことは有りますが、建屋の中まで入ったことはありませんでした。近くにある基地施設ですが、正式に見学をすると違った見え方ができ、良い思い出になりました。企画部長殿ほか関係者の皆さま、お疲れ様でした。有難うございました。

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